「オリエント急行」サロンカー@箱根ラリック美術館と越谷へ回送された「夢空間」

katamachi2009-06-03


 昨年、「意表を突いた「北斗星 夢空間」の3月廃止 - とれいん工房の汽車旅12ヵ月」で紹介した24系客車「夢空間」の3両。尾久車両センターで2008年3月以来、放置プレイ(休車)状態にあったんだけど、そのうち、オハフ25-901(ラウンジカー)とオシ25-901(ダイニングカー)が、5月30日に尾久客車区から越谷貨物ターミナルへ回送され、その後、トレーラーに乗せられて6月1日にどこかへ搬出されたという。
 JR化後に誕生した唯一最初の客車であり、1989年の登場時には横浜博覧会→翌年に京葉線海浜幕張で"展示"されるだけでなかなか走行する機会に恵まれず、その後定期運用を持たない団体・臨時用超豪華車両として使われるもののヒマを持てあます時期も多く、20年もせずに休車状態になった……という希有な歴史を持っていた。
 越谷貨物ターミナル以降の行き先は不明。検索してみると、越谷レイクタウン周辺の複合商業施設への展示……ということがまことしやかに語られているが真偽は不明。→9月にオープンする「ららぽーと新三郷」内で据え置かれたんだとか。「夢空間到着 - しょうちゃんのMYSKY通信」を参照。解体されることだけは免れた、のかな。
 まあ、レストランとかで使ってくれることを望みたいのだけど、どうなることやら。
 過去にも廃車となった客車が宿泊施設や食堂として再利用されたケースは多いんだけど、なかなか長持ちしないんだよね。

静態保存されていてもなかなか長生きしない鉄道廃車体

 たとえばSLホテル。
 60年代からのSLブームを受けて1974年に中村駅に初めてSL+寝台車の組み合わせで宿泊施設として使用が始まり、種村直樹の「鉄道旅行術―きしゃ・きっぷ・やど (交通公社のガイドシリーズ)」(それを参考にしたSLホテル - Wikipedia)によると全国で15施設誕生したのだけど、その多くは昭和の間に淘汰され、昨年末で最後まで残っていた小岩井農場の施設も営業を止めた。寝台車を宿泊施設としても、鉄道マニア以外の消費者にはその簡易さがなかなか受け入れてもらえない。動かない寝台車に"旅情"を感じてくれる親切な人はそんなに多くはないだろう。
 三重県国民宿舎関ロッジ、そして昨年から営業を始めた鹿児島駅阿久根駅ライダーハウスでは寝台車を利用した宿泊施設がある(SLはついていない)んだけど、これもどうなることやら(肥薩おれんじ鉄道阿久根駅に寝台車利用の宿泊施設ができるらしい。 - とれいん工房の汽車旅12ヵ月)。
 あと、ラーメン屋とかなんとかに転用された数数多の客車、そして電車たち。どこへ行ってしまったんだろうか。消息不明となっている案件も多い。
 それはSLブームだった60〜70年代にかけて各地で静態保存された蒸気機関車なんかも同じである。
 最大の問題は、施設&保存対象である車両の陳腐化。
 腐食防止のための処理をしないと現役の鉄道車両でも赤サビが目立ってくる(参照腐食した鉄道車両のボディーを見る - とれいん工房の汽車旅12ヵ月)。最近の寝台車は廃止間際になるとペンキも錆止めも塗ってもらえず、かなり不格好なまま放置されていた。
 ましてや、保守管理の専門家がいない非鉄道系の施設だと、さらにひどくなってしまう。水漏れやガラスのひび割れが生じてもメンテができない。たまにボランティアで国鉄OBやマニアが駆けつけてくれるけどそれにも限度がある。自治体や運営主体の心変わり→意欲の低下で対応がおろそかになっていく。そもそも本気で中長期的に保存&活用するつもりがあったのか。疑わしい。
 そして、静態保存&別用途で活用された車両のうち相当部分が、放置→赤サビ→撤去→解体の憂き目にあっている。
 「夢空間」を引き取った経営者がどのように使うのかは知らない。最初の数年は、ちょっと小洒落たレストランとして丁寧に使ってくれるんだろう。でも、屋外においておくと、5年もすると塗色は色あせてくる。10年もすると赤サビも水漏れも。そこから後もきちんと維持管理してくれるんだろうか。なんだか、過去の事例みたいに、気付いたら解体されていた……ということだけは避けて欲しい。

 それを食い止めるには、保存車両の上に「屋根を付ける」。これが一番の方法。撮影しにくいんで鉄道マニアは嫌がるけど、ある程度は、長持ちできる可能性が出てくる。

箱根ラリック美術館で箱入り娘のように大切にされているオリエント急行のサロンカー

 さて、前置きが長くなった。オリエント急行のサロンカーの話である。
 箱根登山鉄道強羅駅からバスで30分、北部の観光拠点の中核となる仙石原案内所の程近くに箱根ラリック美術館がある。この5月30日、「本日で最後となる対星館@箱根堂ヶ島温泉の自家用ケーブルカーに乗りに行く - とれいん工房の汽車旅12ヵ月」で書いた対星館のケーブルカーに乗る前に訪問してみた。
 フランスのガラス工芸作家、ルネ・ラリックの作品を展示している施設。宝飾品や香水瓶、船室のインテリアやクルマのボンネットマスコットなどがたくさん展示してあった。正直、現地に行くまで名前すら知らなかった。紹介文を読んで、ああ、この人、朝香宮邸(→東京都庭園美術館)のデザインをした人かあ、と気付いたぐらい。それで「アール・ヌーヴォーアール・デコという美術ムーブメントの両方で活躍したアーティスト」と合点がいった。
 少なくともそれだけでは十中八九、僕はここの美術館を訪れなかったのだけど、ガイドブックを読んでいた知人から「箱根にオリエント急行があるらしい」とかメールが来て、初めてその存在を知った。迂闊にも、オリエント急行の車両が箱根で展示しているということに気付いていなかった。
 

 この美術館の目玉らしい「ル・トラン」。入口をぬけて左手に展示されている。ガラス張りの館内で丁寧に保管されている。もちろん屋根付き。箱入り娘的に扱ってもらえているのは有り難いし、展示スペースが広く取られているので撮影もしやすいんだけど.......
 とりあえず、その紹介。
 特別展示「ル・トラン」 http://www.lalique-museum.com/letrain.html

  • 見学にはツアー(45分間)に参加する必要あり。1日最大7回、定員20人/回
  • 特別展示なんで本体とは別料金2100円が必要
  • 座席に座ってティータイム(珈琲or紅茶&デザート付)。係員が途中で5分ほど説明
  • 目玉は、ルネ・ラリックがデザインしたという150枚以上ものガラス・レリーフ。壁面に埋め込まれたまま
  • 車両は「オリエント急行のサロンカー」と紹介されている。ワゴン・リ社の手で1928年運行開始。
  • ただ、オリエント急行 - Wikipediaにもあるように、1976〜1993年に「ノスタルジーイスタンブールオリエント急行 (NIOE) 」で使われた車両。主にチャーター列車として使われた編成で、この時期はプルマン・カー「コートダジュール」No.4158。日本でもツアー募集している「ベニス・シンプロン・オリエント急行 (VSOE) 」ともまた別物。
  • 1993年以降、所有者が転々としたらしいがそこらはよく知らない
  • 2002年に使用停止。そして箱根ラリック美術館に買い取られ、箱根に運ばれる。
  • 2005年3月より箱根で展示

という感じ。
 ちなみに、ホンモノのオリエント急行は1977年に廃止されている。阿川弘之がルポを書いているが、最後は往年の雰囲気が皆無のローカル急行に過ぎなかったという。

南蛮阿房第2列車 (新潮文庫)

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南蛮阿房列車 (光文社文庫)

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 オリエント急行と僕との因縁は過去に三度あった。
 まずは1980年。滋賀県大津市紅葉パラダイス。琵琶湖畔にある高度成長期テイストいっぱいのレジャーランドである。遊園地がメインなはずなのに、むしろジャングル風呂の方が有名だった。ホテル紅葉と共に、その独特のCMで関西の人間にはそれなりに知られていた。

 当時、僕は8歳だったが、イミテーションで覆われたジャングル風呂や、古めかしい遊具や施設にぶつぶつ文句を言っていた記憶がある。80年代にしても、そのセンスと施設はかなり陳腐化&レトロ臭さが漂っていた。それらを楽しめるほどの精神的な余裕がまだなかったのだ。
 そんな僕の最大の関心事は、その二年前の1978年に園内に置かれた「ホテル・オリエント・エクスプレス」。ドイツ製蒸気機関車とワゴンリー社製個室寝台車8両が並べられ、宿泊施設として使用されていた。下のCMでもそれを確認することができる。

 その前年の1977年、SLホテルがそれなりに話題となっていて、また本家本元のイスタンブール行きオリエント急行が廃止されるというので注目はされていた。当時の経営者は、そこに目を付けたのか。
 でも、ここ。紅葉パラダイスだもんなあ。
 小学三年生なんで車内に勝手に入らせてもらうと、確かにそれは写真で見たことのあるヨーロッパの寝台車なんだけど、浴衣をまとった宿泊者が客車を行き来しているのには違和感ありありだった。側では、売れない演歌歌手の歌謡ショー。あまりにも違うだろ、テイストが。その後、1990年頃には営業止めていたのかな。そして1998年に突然閉園し、車両は解体されしまった。
 続くは1988年。フジテレビ&JR東日本主催で「ノスタルジーイスタンブールオリエント急行 (NIOE) 」がORIENT EXPRESS'88として日本に呼ばれたのを記憶している人は多いだろう。パリからモスクワ・北京経由で東京まで団体専用の直通列車が走り、国内でも何ルートかでチャーター列車が走った。日本とJRとテレビ局と広告会社がイケイケだったバブル期を象徴するイベントである。非車両派だった僕も京都駅まで見に行ったし、修学旅行の新幹線団臨が広島駅に停まったとき0系運転台から特別列車とすれ違うシーンを目撃したという経験もある。でも、遠くから見送るだけで乗ることはできていない。
 あと2008年4月、イスタンブールのシルケジ駅に行ったら、ちょうどマドリードからの団体列車が到着するシーンに遭遇した。楽団が歓迎セレモニーをして、オリエント急行が発着した当時の雰囲気がある駅舎のレストランへと下車客は招かれていた。


 でも……客車は中途半端に歴史性の欠けた3両編成。ちょっと違うんだよなあ。雰囲気が。その夜、オリエント急行時代のスジを使ったイスタンブール〜ソフィア・ブカレスト間の夜行寝台にも乗ったけど、車内はガラガラ。もはやただのローカル列車に過ぎなかった。
 箱根ラリック美術館ねえ。
 オリエント急行といっても静態保存、しかも箱根だからなあ。でも、一度は見ておきたいという気持ちはある。

特別展示「ル・トラン」2100円也の損得勘定

 また長くなった。ここから本題。
 僕は、15時からのツアーに参加した。僕と知人の2人。そしてオバサマ3人組。お茶して客車を見るだけで、入館料1500円とは別に2100円というのは、ちょっと高杉。なんかバブリーな美術館だなあと思うことしきり。
 でも、展示フロアーに入ると、いきなりこんな姿で待ち受けてくれるんだよね。ちょっとなんだか嬉しい。





 外見を眺めているだけでもゾクゾクしてくる。


 15時よりツアーが始まる。
 最初はビデオ見学が5分ほど。ラリックの経歴なんかどーでもいいんだけど……と思っていたら、最後に、客車が船で日本に持ち込まれ、トレーラーで箱根へ運び込まれる輸送シーンが出てくる。深夜の国道1号を行く姿。そして朝焼けの箱根山系バックのサロンカー。ちょっと大人げなく前のめりで見入ってしまう。
 さあて、映像終了。2100円分の元を取るため車内で撮影しまくるぞー
……と思っていたら、
「なお、車内での撮影はご遠慮下さい」との一言。
 えええ、うそ?
 なんのために2100円、払ったんや(関西弁なのは他意あらず)。
 と、ボヤきながら、車端部に。入口の手前でカメラをしまうことになる。

 以降、ティータイム。デザートと紅茶はうまかった。室内は確かに豪華。木製のイスは1928年の運行当時のものをそのまま利用しているらしい。シート脇の壁面にあるガラスのレリーフ。これが、ラリックさんのデザインのものらしい。サロンカーなんで、確かに凄いわあ。ギリシャ神話の酒の神様をモチーフにしたらしい。テーブルライトや天井の灯りはさほど明るくないけど、そのわずかな光がガラスに微妙に反射し、独特の雰囲気を醸し出している。夜行の時間帯に見るといいんだろうなあ……とは思う。


 このように、箱入り娘のように可愛がられた形で静態保存されていると、多少の風雨や運営会社の経営難でどうこうなることはないだろう。
 でも、45分間、イスに座ったままで2100円というのは、鉄道マニア的にはあんまりだ。写真ダメはいいけど、せめて車内設備の観察ぐらいさせて欲しい。まるで寸止め喰らった中学生男子みたいな気分だよ。と、美術館を出た後もひたすらボヤいていると、「そんなんじゃ永遠にホンモノのオリエント急行には乗れないよ」と知人から冷やかされた。でも、車内で自由に動けないのってなあ。なんだかなあ。「夢空間」は丁寧に保管していって欲しいんだけどあまり過保護な扱いはしないでね.....と誰だか知らない埼玉方面の買い手の方にお願いしたいのだけど、それはまた別の話。