宮崎駿、「ゲド戦記」試写を見る

katamachi2007-03-30

 テレビでやるアニメ紹介番組って、あまり面白いヤツがないですよね。どこか宣伝臭が入っていて、見ているこっちが気恥ずかしくなってくる。企業宣伝をしていないNHKの番組にしても、同様。それが何か居心地が悪い。
 でも、3/27にNHK総合で放送されたドキュメンタリー番組「プロフェッショナル仕事の流儀 スペシャル 映画を創る 宮崎駿・創作の秘密」は凄かった。このシリーズ、「プロジェクトX」の劣化版みたいで、なんか対象者の持ち上げ方が胡散臭いので、僕の肌合いにはあわなかった。全く中身に期待していなかっただけに、面白く視聴できました。
 「崖の上のポニョ」の現場を紹介するだけで、淡々と番組が進みます。一生懸命、ナレーションで、「日本最後の天才映画監督、宮崎駿」と持ち上げようとするんだけど、とにかく、宮崎がテレビカメラを向けられるのを嫌がるんですね。インタビュアーもディレクターもステロタイプな質問を投げかけるだけだから、宮崎もテキトーなコメントしかしていない。宮崎駿フリークとしては興味深いけど、のぞき見的好奇心に過ぎません。そもそもアニメ製作の現場なんかテレビで撮っても面白くなるはずもない。一週間前に発表された「崖の上のポニョ」の宣伝も兼ねてジブリが協力したんだろうという裏事情が見えてくるのがツラいところ。
 でも、中盤、突然に出てくるんですね。宮崎駿が「ゲド戦記」(宮崎吾郎監督)の試写会を見に行くシーンが。その前後の緊張感が.....ひしひしと伝わってきます。

プロフェッショナル仕事の流儀 スペシャル 映画を創る〜宮崎駿・創作の秘密〜
宮崎駿監督取材秘話「それは1つの出会いから生まれた」(2007年3月24日)
宮崎駿氏“長男教育”反省し次作製作
 宮崎駿、明らかに落ち着きがないんです。サイアクに混乱している状況下にいるのは間違いない。永年のスタジオジブリスタッフである保田道世(色彩設計担当)が心配して隣に付いているのですが、露骨に不愉快な顔を見せている。大スポンサーでもある日本テレビ社長の氏家齊一郎が「ゴローちゃん、哲学的なモノを使ったじゃない。ゴローちゃん。」と馴れ馴れしく声をかけてきたのに対して、無言。無視。インタビューするディレクターも完全にビビっている。
 宮崎自身、まだ無名だった20年前、「ゲド戦記」をアニメ映画化したいという希望を持っていたけど、原作者から許諾を得ることができなかった。ようやくOKが出たにもかかわらず、会社の事情もあって、アニメの世界ではシロウトの息子を監督に据えて制作せざるを得なかった。本人の美意識としてはこれほど腹立たしいことがない。
宮崎駿、「ゲド戦記」試写を見る


youtubeでアップされているのですが、以下、そのコメントを抜き出し。

「気持ちで映画を作っちゃいけない」「3時間ぐらい座ったような気がする。」

「(NHKのディレクターに)何を聞きたい?」「僕は、自分の子供を見ていたよ。大人になっていない。それだけ。」

「素直な作り方で良かった」

  • 珈琲を入れながらのボヤキ。

「初めてにしては良くやったっていうのは演出にとって侮辱だからね。」

宮崎駿が20年前と変わったこと。

ここ20年ほど、特に日本テレビが参加して制作費が20億円を超えたあたりから宮崎駿は誤解されてきたと思うんです。それが、「ゲド戦記」に対するバッシングにも繋がりました。宮崎駿に対する一部の嫌悪感を4つにまとめると、

  • 1.物語に起承転結がなくてつまらなくなった。
  • 2.アニメおたくの趣向から離れた
  • 3.環境とか仕事とか何とかテーマを語りすぎるのがウザイ
  • 4.テレビなどで大量に宣伝するのが鬱陶しい

などですかね。下の2つは、宣伝のためと割り切って宮崎やジブリが展開しているだけ。少なくとも宮崎はテーマのために映画を作っているのではない.....というのは押井守のコメントなんかを見ていても分かるんですが、どうもマニアやネットの人間には評判が悪いみたい。
 僕が変わったと思ったのは「魔女の宅急便」から。一番好きな「となりのトトロ」までは、宮崎の溢れんばかりの情熱と自意識と能力が溢れていたんだけど、「魔女宅」にはそうしたドロドロとした情念が消え失せていた。「紅の豚」には映画を作る動機がどこにあるのか自分で計り損ねているように見受けられた。
 昔は「映画館を出た観客が新鮮な気持ちで外を歩けるような、そんな映画を作りたい」なんて語っていたけど、いつしか、観客に分かりやすくサービスする映画を提供するのに飽きちゃったんでしょうね。それはメジャーになったからとか年を取ったからという言い方もできるし、何かを表現してみたいという意気込みが薄れたという説明もできる。あるいは観客のリテラシーの低さに諦観してしまったのかもしれない。だからこそ、上の1や2という側面は切り捨てた。
 そして、「もののけ姫」以降、宮崎は軌道修正に成功するわけです。脱"物語"を果たしても、映画を作ることはできるんだと。それは僕が20年前に愛していた作品群とはかなり違うのですが、そうした映画作りもありなんじゃないか。と、好意的に解釈しています。なんだかんだ言って自分は宮崎駿が好きなんだなあ。そうした90年代以降の宮崎と押井の類似性についても語ろうとしたのですが、それはまた別の話。