宮崎駿が鞆の浦を「崖の上のポニョ」の舞台と言いたがらない理由。

katamachi2008-09-24

 瀬戸内海の景勝地、鞆(とも)の浦(広島県福山市)で、宮崎駿監督のアニメ映画「崖の上のポニョ」の舞台をめぐり、市と市民団体の間で“論争”が起きている。
「ポニョ」の舞台めぐり論争 瀬戸内の景勝地、鞆の浦で産経新聞、2008.9.23

 この「崖の上のポニョ」は公開初日(7月19日)、広島県福山市にある某映画館で見た。知人に誘われて瀬戸田町を訪ね、鞆の浦に立ち寄った、その帰りのことである。
 鞆の浦に行ったのは、もちろん、この日、「ポニョ」の公開がされると知っていたから。
 さぞ福山市は「ポニョ」フィーバーで盛り上がっているんだろうな、と半ば期待し、半ば不安に思いながら福山駅へ着いた。
 でも、福山市中心部でも鞆の浦でも「ポニョ」という言葉はほとんど見ることがなかった。わずかにトモテツバスの車内に映画の200円割引券が吊されていたのと、ともてつバスセンター内の観光情報センターに手作りの観光マップみたいなものが掲げられているだけ。日本で一番ネームバリューのある映画監督とご縁のある街としてはかなり地味な、いや目立たない扱いだった。
 上の産経の記事を読むと、一部地元住民と福山市との間で温度差がある旨を伝えているが、それは公開当日に鞆を訪ねた私も実感した。
 じゃあ、「鞆の浦」という街は、「ポニョ」の舞台なのか……と問われると、ちょっと違和感はある。アニメ監督として舞台は鞆の浦だと明言すると、作品の世界観を壊してしまいかねない。それには二つ理由がある。

 さて、この鞆の浦と「ポニョ」。
 両者には、

  • 鞆の浦は中世より瀬戸内航路の重要拠点として栄えた港町
  • 今では福山市に吸収合併されて港湾としての機能はほとんど失われた
  • 古い街並が残る場所として90年代より観光名所として注目される
  • 2005年に宮崎駿が長滞在して次回作である映画の構想を練った場所(NHKの番組でも紹介)
  • ここ十年ほど、港を跨ぐ道路橋の敷設を検討している福山市に対して反対運動が起きている

のような関係がある。
 まあ、「トモバス」とかいう名前が作中に出てきたんだし、鞆の街から仙酔島への風景と同じアングルが作中でも使われている(下の画像)。知っている人が見ればもっと気付く点は多いのだろう。

 この産経の記事に対して、ジブリは、

「映画のモデルとなった場所を特定すればファンが殺到して迷惑をかける」として、「鞆の浦が舞台」とは断言していない

という姿勢のようだ。

アニメ映画で舞台を特定したがらないのはなんでなんだろう

 特定の街を映画の舞台とはしない……という考えは、これまでのジブリ、そして宮崎駿の姿勢からなんとなく理解はできる。
 ジブリの公式ホームページのQ&Aに「作品の舞台はどこですか?」というのがある。これに対し、

 スタジオジブリ作品のうち、ここが舞台です、と公式に表明できる作品は多くありません。様々な地域が部分的に取り入れられている作品がほとんどです。さらに、言うまでもないことですが、映画の中には完全な創作で場面が設定されているシーンも、もちろんあります。だから、実際に訪ねられても全く同じ風景に出会うことはないと思います。

との回答がある。
 劇映画を作る際、監督たちはその舞台を現実に存在しない街として設定する。現実に存在する街や物語や人物に満足していないからこそ、彼らは想像の上で何かを産み出そうとする。そして、その世界観が観客を魅了していく。
 その中でもあえて地名を特定して描かれる作品もある。鞆の浦の近くにある尾道大林宣彦監督の関係は有名である。他にも、作品と近しい関係にある舞台として、富良野だの、祇園だの、浅草だのという現実の街を僕たちはイメージできる。実在する地名を使うことによる功罪はいろいろある*1と思うが、その選択には監督なり関係者なりの強い意志が働いているのは確かだ。そう言う場合、「『●●』という作品の舞台は○○だ」という言葉は成り立ちうる。小説でもマンガでもそれは同じである。
 ただ、アニメーション映画(含むテレビなど)の場合、「『●●』という作品の舞台は○○だ」とは、制作者側が断定しづらい事情がある。
 アニメの制作者たちは、彼らのイメージする街を描く際に、なにをイメージしているのだろうか。
 僕は実作者ではないので詳しい事情は分からないが、演出家や原画マンたちが過去に見てきた街の風景、あるいは既存の作品群なんかをモデルにしているんだろうと思う。それが日本国内であれ、異世界であれ、宇宙であれ、自分たちの見てきたモノを逸脱して描くことはできない。時には、どこか実在する街に出かけることもある。そこで写真を撮り、スケッチをすることで、自分たちのイメージを膨らましていく。アニメ作品でそれを大々的に初めて行ったのは「アルプスの少女ハイジ」。宮崎がそのメインスタッフであったことを周知のことである。そして、彼は、後の監督作品においてロケハンを積極的に実施することになる。
 ただ、そうして集めた風景や資料をベースにしながらも、彼らは、参考資料をそのまま丸写しすることはない。
 アニメの監督が、比較的、(実際の風景に近いという意味で)写実的な作品を作ると、必ず「なんで実写で撮らなかったの?」という質問が来るらしい。実写映画を撮った経験のある押井守も「機動警察パトレイバー the Movie」でこの質問を何度も投げかけられたらしい。それに対し、作中で描かれた「東京」という街はすでに公開された1989年時点ではほとんど消え失せた風景*2であり、それを実写で撮ることはできない。だからこそアニメーション映画として撮る意味があるんだと説明したんだという。
 そもそも実際の風景をそのままトレースしたいのなら、写真やスケッチをそのまま画面に取り込めばいい。いや、アニメーションという技法を使わず、実写のフイルムを回せばいいだけの話である。
 それゆえに、宮崎も含めたアニメの制作者たちは、「○▲という街でロケハンした」とかいうことは語るのだけど、「○▲という街が舞台だ」とまではなかなか明言しない。それは、「実写でなく、アニメーションという技法を使って映画を撮っているんだ……」という彼らの動機に直結してくるからなんだと思う。画面作りの段階で、何を取捨選択するのか、そして何を付け加えるのか。それが演出家や作画担当者のの腕の見せ所なのだから。

知床の原生林伐採に反対する人としてニュースに出ていた宮崎駿

 あと、現地で聞いた話から想像するに、

  • 鞆の浦に橋が架けることには根強い反対運動がある

http://sankei.jp.msn.com/region/chugoku/hiroshima/080117/hrs0801170331001-n1.htm
鞆まちづくり工房

  • 確かに、古い街並や港湾の遺構が残っているすぐ側に橋が架けられると、せっかくの風景は台無しになるのは確実

http://www.city.fukuyama.hiroshima.jp/tomo-machidukuri/kouwan-menyu.html

  • ただ、福山市民、特に鞆の浦界隈の人間で架橋に反対している人は少数派。個人的印象では反対しているのは鞆の浦出身者以外の人が多い(反対している当事者もそれは自覚しているらしい)。古い市街地を通る狭い県道での渋滞やトラブルを何とかして欲しいという意見が多い。
  • 福山市役所や市議会などは架橋推進にやっきになっている
  • 映画公開直後に行われた福山市長選挙でも争点にはなりきれなかった

(→JanJanニュースが元ネタで申し訳ない)
と、かなりややこしい状況になっている。政治絡みの生々しい話になっているから距離を置きたい……というジブリ側(=鈴木プロデューサー?)の事情もあるのでしょう。
 上の産経の記事はそこらを知ってか知らないのか、あえてそこらは触れてはいない。むしろ、7月15日に中日新聞(東京新聞)で2面に渡って特集された記事の方がそこらをきちんと掘り下げていた。推進派と反対派の事情をきちんと紹介した上での中身の濃い記事だったけど、ネットでは配信されていないんだね。残念。
 今回の映画、そして鞆の浦問題に関して、宮崎駿自身は、自分の肉声で何も発していない。読売新聞の「http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/ghibli/cnt_eventnews_20061024a.htm」という記事では、「地域の伝統を残した町並みが今、日本から消えつつある。鞆の浦には、生活に根差した長い歴史があるから、大切に残して後世に伝えていってもらいたい」と語っているのだけど、現地で反対運動をしている人からの伝聞なんだよね。映画の成功と自分の感情は別物ときちんと割り切っているのでしょう。
 でも、ご本人。「ポニョ」が鞆の浦の架橋問題に影響することを分かってやっているんだろうな。NHKの番組スタッフを鞆の浦にまで同行させたのもそこらは織り込み済み、と。
 そういや、まだ彼の名前がマニア以外ではさほど知られていなかった二十数年前、知床半島で行われようとしていた原生林の伐採に反対すべく現地に乗り込み、ニュース番組に出ていたんだよなあ……とか思いだしたのだけど、それはまた別の話。

*1:映画の舞台を特定したがゆえに問題となっているのはタイでの人身売買をテーマとした「闇の中の子供たち」。http://mainichi.jp/enta/cinema/news/20080922dde041200059000c.htmlで伝えられているように、タイ国内での上映が中止になった

*2:たとえば銭湯だとか、看板建築だとか……