ぬれ煎餅と銚子電鉄に可能性を見出したがった人たち(銚子電鉄シリーズその4)

katamachi2008-02-08

 今回は、「がんばれ! 銚子電鉄」の書評をきっかけに始めた銚子電鉄シリーズのまとめ。

 以上、三つのエントリーを通して、

  • 前社長の資金不正流用問題を解決するのが公金投入のために先決であること
  • 銚子市も市民も銚子電鉄をどのように活かしていくのかという視点が足りなかったこと
  • 著者が"まちづくり"→"銚子電気鉄道の再生"というスキームを提案していること
  • ただ、鉄道存続を"まちづくり"の"目的"としてしまうのは問題ではないのかということ
  • あくまでも"まちづくり"や鉄道存続の決断をするのは市民であるということ

などの点を述べた。その上で、ぬれ煎餅騒動と観光客やマニアの声援だけでは問題解決には繋がらないと指摘した。
 今回は、ぬれ煎餅と銚子電鉄を巡る現象、そしてネットと社会との関係性について言及してみたい。

"ぬれ煎餅騒動で銚子電鉄は復活した"のはネットのお陰なんだろうか

 さて、ぬれ煎餅に始まる2006年末の一連のムーブメントは、興味深い可能性を観客に示してくれた。
 銚子電鉄の一社員がホームページに書いた一言。それをネットの住人が面白がり、銚子電鉄に興味を持ち、ぬれ煎餅を注文し、それがネットの外の世界にも広がり、1ヶ月で1000万円以上の売上が集まったおかげでデハ1001という車両を検査に出すためのカネを捻出できた。
 この過程は紛れもない事実である。「銚子電鉄が直面した最大の危機は、みなさんの温い支援のおかげで、なんとか乗り越えることができました」(p.42)という言葉は銚子電鉄社員として本音の感想であろう。

 ただ、「ネットの向こう側にあった良心」(第1章サブタイトル)で問題は解決したのかというと、それはまた別の話。問題は今でも山積している。著者の示した"まちづくり"の概念を実現に移すには不十分な点が少なからずある。と、前回、前々回のエントリーで繰り返した。
 ところが、あれから1年経った今、"ぬれ煎餅騒動で銚子電鉄は復活した"……という類の言説が少なからず飛び交っている。しかも、それは"ネットのお陰だ"というのだ。となると、話は異なってくる。
 本の売り方として、「ネットを媒介とした"良心"と"奇跡"の復活劇」、「ネットと現代社会との関係性」という側面を打ち出すというのはありかもしれない。本書の構成もそれに準じた造りになっている。
 版元である日経ビジネスは、販売にあわせて自身のホームページに「「敗北宣言」が呼び込んだ奇跡の復活」という記事を掲載している。「地方景気の後退にあえぐ中小企業や、インターネットによるコミュニケーションで悩む企業にとって、大きなヒントとなるものです」と少々気恥ずかしくなるような紹介文もある。タイトルから何までまるで「プロジェクトX」のノリである。
 編集者の手で本書の中身を再構成したものであり、この長文のテキストを読めば、書籍を購入しなくても要旨をほぼ把握することができる*1。 「外の社会から認められたい」という気分がネットの住人にあることを突いたウマイ戦略とも言える。彼らは、ネットが産み出した"成果"を強調することで、自分たちの"可能性"を過度に語りたがる。社会やマスコミがネットでの騒動を取り上げて増幅させていくことを見聞きすることで、自己の存在を確認したいのかもしれない。
 でも、そうした方向性が強調されることで、銚子電鉄を取り巻く様々な状況が"単純化"され、"ネタ化"されていく。編集者サイドは、ホームページに載った抄録を読んでいる限り、"善意"と"奇跡"と"地域の生き残り"のエピソードとして無難にまとめようとしたと思われる。ネタ的な要素だったのが、「現代のおとぎ話のような復活劇」に仕立て上げられている。ただ、偶発的で"善意"と"奇跡"のエピソードを、他にも応用しようという趣旨にはかなりの無理がある。
 そうした日経BP社のホームページやそれに対する反応を見ていて、僕は違和感を抱き続けた。それが、最初に書評を書いた後、延々と銚子電鉄について語ってきた動機である。

語れない話が多すぎて"まちづくり"を巡る提案が生煮えになった

 正直なところ、本書を出すタイミングがあまりにも早すぎた。
 時が経ってから銚子電鉄とぬれ煎餅騒動の裏話本を出しても、移り気なネット住人やマニアはあまり興味を持ってもらえない。現に、ぬれ煎餅に始まるムーブメントは昨年で一段落付いた印象がある。できれば旬のうちに……という事情は分かる。
 ただ、2008年2月現在、著者も銚子電鉄銚子市も市民も、いまだに再生への道程についてなにも成果を生み出せていない。
 今回、あえて何も触れなかったが、銚子電鉄に対する批判的な意見も一部である。存続を訴えかけるグループに対して露骨に揶揄する言葉も散見している。2002年と2006年に相次いで現職市長が市長選で敗れたことによる銚子市政の混乱がその一因なのであろう。
 野平前市長は、銚子電鉄不要論を市会でも公然と発言していた。岡野現市長は、駅舎の改築などを公約に盛り込んでいたが、当選後、積極的に発言しなくなる。市役所は、ぬれ煎餅騒動で批判が集まると、「銚子電鉄問題への市の対応について」という文書を出して、安易な対応はできないと予防線を張った。裁判沙汰になっている一民間企業に公金を投じるには問題が多い。責任ある立場に就いたのだから仕方ないことだと私は思う。
 それに対し、銚子電鉄は、一時期、前市長陣営と現市長、市役所に対する批判をこめた「銚子電鉄を支援して下さる皆様へ」という社長名の文書を自社のホームページに掲載していた。銚子電鉄存続に関する署名がたくさん集まり、それが市民の意志なのに、前市長も現市長もきちんと対応してくれなかった。そうした銚子市政を批判するものであったらしい。現在、その文書は削除されて閲覧することはできず、代わりに「銚子電鉄を支援して下さる皆様へ」を一部修正したお詫びと訂正」というpdfが残っている。
 ただ、銚子電鉄の姿勢を示した文章を見ても、具体的な方向性は何も見えない。やっぱり銚子電鉄不正経理の問題でなにも動くことができないということを再認識させられただけだった。本書においても横領の件に関してはp.711ページほど簡単に事実が述べられているだけで肝心なところは触れられていない。
 現実はなにも進んでいないし、最大の問題が解決していない。そんな中途半端な段階なのに、当事者が語られることは限られてくる。騒動の裏話や「ネットの向こう側にあった良心」など表面的なことしか触れることができない。"コンパクトシティ"や"まちづくり"への意気込みを語ろうにも、机上の空論にしか見えてこない。市民から「ところで不正借入の問題はどうなったの?」と聞かれたらそこで議論はストップしてしまう。肝心の第5章以降の"まちづくり"を巡る話が生煮えなのはそこが原因である。
 会社としても、少しでも市民や市の要求に応えようと、2007年7月に配布した市民向けの文書で経営内容の一部を公開したらしい。平成18年度決算の銚子電鉄鉄道部門収入が1.3億円、副業部門収入(ぬれ煎餅など)が3.1億円(70%)とのこと。裁判が決着ついていない中でさらなる公表は難しいのかもしれないが、正味の不正借入のための弁済額はいくらなのか。施設や車両の整備に中期的にどれぐらい必要なのか。そして、どのようにして安定的かつ持続可能な経営へと導いていくのか。それは彼と社員さんたちの腕の見せ所だ。
 筆者は自著の最後を次のような言葉で締め括っている(p.178)。

自分たちにはなにができるのか、みなさんといっしょに考えながら、地方鉄道と鉄道が走る町のために、これからもがんばっていきたいと思っています。

 ただの読者への謝辞かとふと読み飛ばしてしまうような一言である。
 でも、指示語の部分に固有名詞を入れて、「自分たち=銚子電鉄」、「みなさん=銚子市民」、「地方鉄道と鉄道が走る町=銚子市」と読み替えれば、これが著者の決意表明、そして銚子市民へ喚起を促す願いだと言うことが理解できる。急がす、でも悠長に構えず、銚子市民の間で、ひとりでも多く、銚子電鉄のファンと味方を増やすことが最優先の課題だろう。
 著者と電鉄と市民の取り組みが、近い将来、成果を生み出すことを期待してやまない。

鉄道マニアができるささやかな試み

 さて、われわれ読者は単なる"美談"として銚子電鉄とぬれ煎餅の騒動を捉えてはいけないとは先にも述べた。
 では、自分のようなヨソ者や鉄道マニアどうすればいいのか。なにかできるのか。そのヒントはp.173の

銚子電鉄の危機を知ったみなさんは、それをきっかけに、地方鉄道の問題について関心をもってくださるようになったのではないのでしょうか。(中略)みなさんの応援が、どれだけ地方鉄道の社員を勇気づけていることか、ということです。

との言葉にある。
 ぬれ煎餅という"ネタ"がある銚子電鉄に対して親しみを持ったネット住人は少なくないだろうし、ブームが収束した今でもまめに現地へ足を運んでいる人もいらっしゃると思う。継続は力だと思う。
 でも、何も困っている鉄道は銚子市にしかないというわけでもない。ぬれ煎餅をきっかけとした興味や好奇心。それを他の鉄道にも広げていくこと。それが、観客であった人たちに求められていることなんだろう。
 鉄道マニアでもできるささやかな試みはいくつもあると思う。

  • とにかく「がんばれ!銚子電鉄」を一冊購入。新書本より文字数は少ないし、1時間もあれば読める。アマゾンでもどこでもいいから買うこと
  • 読んだら、半年以内に銚子を訪問。銚子電鉄に乗って、2、3ヶ所の駅を訪ねてみる。そして、ぬれ煎餅を駅のベンチで食べながら、どうすればこの会社はうまくやっていけるのだろうかと考えてみる。
  • 帰ってきたら、自分の家の近所にある大変そうな鉄道を訪問する。そして、銚子電鉄を参考にして"可能性"について考えてみる。"〜すべき"とか自分の主張を練り上げるのではなく、自分がこの鉄道の利用者だったら、沿線の市民だったら、株主だったら、従業員だったら、どのようにアプローチできるのかという多面的な視点を持つことが重要。
  • 最後に実践。とにかく当該鉄道と地元にカネを落とす。消費は最大の美徳。ちょっとでも売上に貢献しよう。口先だけ「がんばれ!」とネットで語っていてはダメだ。クルマで撮影に行っても、せめて1000円分ぐらいは切符を買ってホンモノの電車に乗ろう
  • そして、ヒマなときは、心の中で銚子電鉄や多くの鉄道にエールを送る

 ……と、書いていてちょっと空しくもなったが、まあ、実際、鉄道マニアができることってこんなものだろう。自分たちが鉄道を、社会を変革できるなんて気負わない方がいい。
 でも、一つの現象を実際に見聞きし、あり得るべき姿を考え、何ができるかを想像し、それを具体的に実践していくこと。そうした過程を踏むことは知的な刺激になりうると思う。
 私もこうした活動が、鉄道再生に繋がることだとは本気で思っていない。あくまでも鉄道再生の道程を造っていくのは地元住民であると、ここ3回のエントリーで7度は語ってきたと思う。観光客やマニアは側方支援に留まるべきだと。でも、鉄道という存在を通して楽しみを享受している自分たちは、鉄道会社や現場の職員たちの活動に無関心ではいられない。
 ちょっとした私たちの関心や消費活動が彼らの励みになっている。そんな当たり前のことを銚子電鉄とぬれ煎餅は教えてくれた。その輪を全国の鉄道へ広げていくことが、いま自分たちに求められていることなのかもしれない。そうした思索や実践を行う"きっかけ"造りのために本書を参考にするというのも一つの手なのだろう。


 最後に自分の話。
 先日、仕事のついでに某鉄道某駅を訪れてみた。3ヶ月ぶりの訪問。相も変わらず電車にお客さんは乗っていない。
 窓口に行くと、記念乗車券を売っていた。580円。往復タイプの硬券には「が○にゃん」とかいうオリジナルキャラクターが印刷されている。昨年も、例のキャラに便乗して何種も出していた。でも、「マニア的にはこういうのをやって欲しくないんだけどな……」というのが本音のところ。正直、買うかどうか3分ほど迷ったが、とりあえず一枚購入することにした。後ろを通った女子高生に「いまどき、□△にゃん?(しかもおっさんが?)」と冷笑されたような気もしたが、それはまた別の話。

*1:本を買った人間とすれば複雑な心境なのであるが、まあそれはそれ。