京都駅前で中核派と出会って17年前の大垣夜行での私怨を思いだす。

katamachi2008-09-27

 今日は所用で京都市内に行っていた。
 京都駅ビル内の茶店で打ち合わせを終えたのは4時過ぎ。アバンティーで何冊か本を買い求めた後、駅北側の京都タワーへ向かった。1階にあるスタバでの読書が僕の定番コースだからだ。
 駅前広場から交差点へ向かう途中、京都タワーの真下あたりでパフォーマンスをしているグループを見かけた。
 20歳代の若い青年が2人。風貌と喋り方はどう見てもオタ系なんで、アキバや日本橋の真似をして京都でもオタ芸をしているのだろうか。話を聞こうと思うのだが、何を言っているのか理解できない。拡声器の音が割れていてただ耳障りなだけである。さっきから見ている限り、彼らが配っているビラを誰一人受け取っていない。まあ、そうだろう。自分が何かを演じていることにに自己陶酔している。自分の演説が肝心の周囲に伝わっていないことに気付いていない。学園祭実行委員やらコミケ準備会やらによくいそうなタイプだ。
 「なんだろ、こいつら」と思いつつ、ちらちらと周りを見ると、「格差を是正すべき」とか書いた地味な幟が一本立っていた。そこで初めて彼らが政治的活動をしていたことに気付いた。そーいや、最近、「蟹工船」がナウなヤングの間でブームになっていると聞くし、どこかの大学生が雨宮処凛系のパフォーマンスをしているのかな……。
 彼は何者なのか、非常に興味がある。彼らの側を通り、そして配っているビラを受け取った。
 ちらっと中身を見て、驚いて、思わず、彼に語りかけてしまった。
 「君ら、中核派?」
 すると、オタ青年は顔色を変えて「そうです、中核派です。なんで気付いたんですか???」と嬉しそうに近づいてくる。正体隠しているつもりでも、「国鉄千葉動力車労働組合」なんて書いていたら誰でも分かるがな。
 トモダチと思われるのがイヤなんで、手で制止し、そのままスタバの店内に向かった。
 ここの組織の学生たちにはいろいろ想い出がある。

1991年3月に大垣夜行を待つ東京駅で中核派と警察権力にパージされたこと。

 中核派とは、

 新左翼セクト革命的共産主義者同盟全国委員会」の通称。1963年の革共同第三次分裂時、学生組織が革マル派系マル学同と比して少数派に転じたため「マルクス主義学生同盟・中核派」と名乗ったことに由来する。1957年12月に黒田寛一太田竜・西京司らを中心にして結成された革命的共産主義者同盟が分裂を繰り返し、1963年4月の第三次分裂をもって革マル派中核派が成立した。いわゆる成田闘争に関連して、「革命軍」が建設省幹部宅や空港公団職員宅などに対する時限発火装置をしかけた放火・放火未遂ゲリラ事件、自由民主党への火炎放射車による放火事件などを起こしている。また革マル派等との内ゲバで今までに五十人余りを殺害、数千人を負傷させたとされる。(はてなキーワードより)

という組織。80年代はまだそれなりに頑張っていたが、国鉄天皇の死、そして大喪の礼が終わったことで、平成になるとその役目はいつしか終えていた。
 僕が生まれて初めて中核派の学生たちに会ったのは1991年3月のことである。
 JR&京成の成田空港線が開業したのにあわせて関東地区の未訪私鉄を乗り潰した後、大垣夜行に乗るべく、22時過ぎに東京駅へ行った。当時の大垣夜行は、今の「ムーンライトながら」みたいに指定券はなくて全車自由席だった。春休み期間中でもあるし、座席を確保すべく早めに向かったのだ。臨時の方は乗車位置に並んでいる人も疎ら。運良ければ1ボックスを友人と2人で占有できるか。
 そんな甘い期待をしていると、23時過ぎ、突如、制服を来た男達数人がホームに現れた。そして、列に並んでいた僕たちにこう告げた。
「君たち、そこをどきなさい」。
 入線まで30分ほど。すでに各乗車位置の乗客は15人程度になっていた。えーっ、なんでこのタイミングでどかないといけないの???
 いっせいに不満そうな顔をする。そこにJR東日本の駅員が現れて「すみません、すみません」と低姿勢に謝っている。よく見れば、僕らにどけと命令した連中は警察の制服を来ている。
 事情は分からない。でも、権力に抵抗するほど鉄道マニアに団結力はない。不満たらたらで荷物を引きずりながら、違う号車の乗車位置に移動せざるを得なくなった。
 この警察&駅員の強制列整理で3両分の乗車位置が空いた。
 この後、何が起きるのだろう……と思っていると、23時20分頃。下の方から笛の音となんだか指示する声が聞こえてきた。そして、階段を登ってきたのが、白いヘルメットと作業服に包まれた中核派の集団だった。
 ようやく、分かった。こいつらのために、正規の乗車位置に並んでいた僕たちは追い出されたのだ。
 そう言えば、成田空港に行ったとき、自称過激派たちが周辺でドタバタやっているとか言っていたな。三里塚で反対闘争という名の大イベントでもあったのか。すました顔で整列する連中に対して、他の車両に回された鉄道マニアたちがいっせいに舌打ちする。
 やがて165系が入線してくると、彼らは粛々と車内に乗り込む。臨時6両のうち、3両は中核派に占領されることになった。残りの3両に鉄道マニアたちは押し込められる。座席定員をちょっと上回る程度の乗客を乗せて、定刻に発車する。
 あまりにも腹が立ったんで、発車後、ヤツらを見に行こうとする。デッキのドアを開けて、隣の車両に行こうとすると、いきなり後ろからやってきた警官に遮られた。なんかよく分からないが、あっちへは行ってはいけないらしい。
 あとで熱海駅の停車中にホームから覗き込んでみた。彼らはゲバ棒を片手にボックスシートで姿勢をきちんとして微動だにせず座っていた。オマエらは、帝国軍人かよ。みんな白ヘルと作業着というコスプレをしているんだけど、一つのボックスだけは普通の背広を着た男たちが4人座っている。彼らは私服の公安警察官なのか。この日、途中で抜かれた臨時急行「銀河」(14系座席車)でも中核派たちが何両かを占拠していた。
 彼らはしばしば自分たちの機関紙「前進」などで革マル派公安警察・国家権力・動労JR東日本との繋がりを批判し、「反革命カクマルとの闘いを!」と罵倒している。でも、今日の彼らは、そのJR東日本と警察の庇護の元で、本来ならば座席を確保するのも難しいかもしれない大垣夜行の座席を半強制的に占領している。そいつらは、対立勢力であるカクマル*1のシンパじゃなかったのか。
 国家権力の犬に成り下がって、いたいけな市民たちの趣味活動と安眠を妨げる彼らへの不信感が募るばかりであった。

ある日、中核派の学生と一瞬、心が通じ合ったことがある

 中核派学生とは、その1ヶ月後、大学のキャンパスで再会することになる。
 僕の行っていた学校では、中核派が学生の自治組織を牛耳っていた。毎年4月になると、うちの大学の自治会と称するグループが「全日本学生自治会総連合*2と共にキャンパス内で"デモ"をやっていた。
 ただ、僕の大学には"自治会"というものは存在していなかった。で、デモには、毎回、30人か40人かやってくるのだけど、そのほとんどは法政や京大や富山大や他所から呼んできた外人部隊。学籍のあるホンモノの学生は2人しかいなかった。 たまに彼らは朝イチのキャンパスに来て語学教室を占領していた。学生たちと「討論会」をしたかったらしい。でも、実働部隊がわずか2人では、何もできない。センセーと大学職員を部屋から追い出すのには「成功」しても、学生たちは授業が休講になったのを喜び、すぐさま教室の外に出ていってしまう。部屋に残されるのは、いつも2人だけ(しかも、その学部とは無縁なのに!)。その翌日、学内の掲示板に、中核派機関紙「前進」と共に、前日の「討論会」が大成功だったことを誇らしげに書いたビラが貼られていたが、その内実はなんなのかみんな知っている。
 いつしか彼らの拠点だった寮が閉鎖されたり、単位不足で学生が退学になったりして、もはや「討論会」すら行われなくなった。
 彼らがイベントをするときには、その何倍ものの大阪府警の機動隊がキャンパスを取り囲んだ。警察車両の待機場所はなぜか僕の所属していたサークルのボックスの裏側だった。非常時には校門前に急行し、彼らをどこかへと運んでいく。いつものように護送車がやってくると、他のサークルの連中と中島みゆきの「世情」を口ずさんだものだ。



 そんなある年、ある中核派学生とトモダチになってしまった。
 彼らは学生をオルグ*3するために、夕方になると各サークルのボックスを訪ね歩いていく。ほぼ全ての学生は中核派の活動に興味は持ってくれないし、そもそも彼らが何をしているのかすら知らない*4。だから、根本的なところで会話が成り立たないから、ほとんど相手にしてもらえない。
 でも、僕と彼らとはなぜか「会話」が通じてしまった。もともと右翼と左翼という存在が苦手なのに、中途半端に知識と素養があったがために*5、分かり合える人なんだと思ってくれたようだ。
 ある日の昼下がり、サークルボックスでゴロゴロしていると、彼が訪ねてきた。今日の議題は「○○新空港の軍事化に共に反対しよう」とのこと。4000m級の滑走路を持つ空港ができると、米軍の軍用機の発着が可能になる。これは日本の再軍備にも繋がり、われわれ学生や○○市民にとっても
……と、まあ教科書通りの説明をした上で、○○線と○○貨物線が軍事路線に転換される危機にさらされている。これに対して共に反対運動の輪を広げていこうというのだ。
「あなたもご存知と思いますが、成田空港や百里基地へは軍用の石油が鉄道で運ばれているんですよ」
「そうだねえ(^_^)v」
「○○空港も○○線と連絡しています。米軍や自衛隊の輸送機の燃料補給に使われる危険性があります」
「○○線は、軍事路線にはならないよ」
「そんなことはない。戦前みたいに鉄道が軍事輸送に使われるのを、あなたは黙って見過ごすのですか!!」
「だって、○○線って、もう貨物列車が走っていないよ*6
 どう説明すればいいんだろう。
 とりあえず、○○線は戦前私鉄だったのであまりきちんとした貨物設備が整備されていなかったこと、国鉄時代に貨物設備は全て取り払われて定期の貨物列車の運転ができなくなったこと、貨物ヤードというシステムがなければ全国規模の軍事貨物輸送が難しいこと、日本の鉄道の建築限界ではあまり大きな戦車は運べないんだということ、空路と鉄路を結んで貨物輸送するには空港内に大規模なヤードが必要なんだけどそれは準備すらされていないこと、よって○○線の列車運行の妨害をしても何ら意味がないこと……などを説明申し上げた。
 すると、彼は、
「なぜです?? 線路が繋がっているのだから、運べないことはないはず。あなたの知らないところでJRと政府は準備をしているんですよ。」
と言い切った。
 その純真な眼を見ながら、「ああ、この人、いい人だなあ」と思った。オレみたいに薄汚れていない。組織の拡大という目標のため懸命になって、ただの鉄道マニアと真剣に話している。いや、違う。彼は、学内にトモダチが欲しいんだよなあ。同じ視線で語り合える人間は学内にただ1人。オレとなら分かり合える。そう信じているからこそ、わざわざ興味もない鉄道話を持ちかけてきてくれるんだ。
 なんとなく、分かり合えたような気がした。でも、中核派の彼も、マニアとマニア話をしても埒が明かないと思ったのだろう。やがて話題を変えてしまった。


 米帝の日本文化侵略の象徴とも言えるスタバでコーヒーを飲み、

  • 戦争・民営化攻撃と対決する10・24国鉄集会

中核派とご縁のある千葉動労iに関する集会のご案内のビラを見ながら、そんな十数年前の出来事を思いだしてしまった。
 なんで、彼らはあんなに熱いんだろう。オルグによる組織拡大とか上からいろいろ言われているんだろうけど、「君ら、中核派?」と尋ねたときの嬉しそうな青年も、○○線の軍事鉄道反対運動への共闘を求めていた学生も、単に自分と心が分かり合えるトモダチが欲しかっただけなんだろうな。ネットで反日的記事に対してウヨウヨしている2ちゃんねらーも、アキバでハルヒダンスをしているオタたちも、池田大作に敬虔な祈りを捧げる学会員たちも基本ベースは同じ。もちろん、はてなで日記を書いている自分もそうである。でも、僕は過去も現在も彼らみたいに熱くなることはなかった。自分の実存を賭けてそこまで対象にのめり込むことは出来ない。国家・組織と自己を同一化することで自尊心を保つことは考えられない。それはそういう性格なんだと分かってはいても、どこか彼らを羨ましく感じてしまう自分もいる。
 帰りしな、スタバから出ると、まだ彼らは演説とビラ配りをしていた。僕の顔を見たオタ系中核派青年が「先ほどの方ですね」と近づいてくるのに、また早足で逃げ出してしまったのだけど、それはまた別の話。

*1:"カクマル"とは、中核派が、"革命的"ではないと見なしている革マル派を呼ぶときの蔑称。「前進」でおなじみ。

*2:同名の組織は革マル派系や民青系、社青同解放派なども存在する

*3:早い話が勧誘活動、仲間探しです

*4:数十年前に、うちの学校の正門前で、登校する小学生たちの目の前で革マル内ゲバをして3人の死者が出ていたんだけど

*5:まあ、フツーの学生は、千葉動労とか浅草橋駅の焼き討ち事件とかカクマル松崎とか、そういうのは知らないよな

*6:のぞく甲種回送