そして誰もいなくなった京浜急行電鉄黄金町駅高架下の元売春街を歩く

katamachi2009-01-31

 3年ぶりに京浜急行電鉄黄金町駅へ行ってみた。
 横浜駅から普通電車で3つ先の黄金町駅京急の前身の1つである湘南電気鉄道が浦賀・逗子まで開業した1930年、横浜側の仮の起点駅となっていたこともある。その翌年、日ノ出町駅まで開通して横浜駅まで乗り入れを始める。横浜〜黄金町駅間には昭和ヒト桁に敷設された高架橋がそのまま残っていて、往年の面影を偲ばせている。
 と、鉄道の話はここまで。
 この黄金町。横浜、京浜地区の人たちの間では"別な意味"で有名な場所であった。
 実は、黄金町駅から隣の日ノ出町駅にかけて続く高架線の下。この500mほどのエリアは、つい最近まで、売春するスペースを提供する小規模飲食店が多数密集していた。いわゆる、「ちょんの間」。昔で言うと「青線」。終戦直後から、ずーっと非合法で売春が行われていたエリアだったのだ。その玄関口が黄金町駅になる。
(以下、今日の内容は18禁。)
 黄金町 - Wikipediaを見ると、敗戦後の混乱期にヒロポンや麻薬の取引場になっていたと紹介されている。と共に、様々な商売がここで商われた。その一つが「ちょんの間」だった。伊勢佐木町などの繁華街に近いこと、鉄道でアクセスしやすいことなどもここが隆盛した理由だったのか。曙町などの風俗街も隣接したところにある。
 黒澤明の「天国と地獄」の中盤、犯人役の山崎努が、実験で娼婦を殺す場面がある。クスリとオンナで埋め尽くされた退廃的な繁華街は印象的だったが、そのモデルはここだと言われている。他にも「私立探偵 濱マイク」シリーズなど"黄金町"を取り上げた作品はいくつかある。
 そうしたアングラ面は時と共に薄らいではいたものの、平成になってからも、京浜電鉄の高架下には「スナック」が100軒以上密集し、非合法な売春が行われ続けた。
 その存在は常に各方面から批判の目に晒されてきた。"大家"である京浜電鉄へ「なんとかしてくれ」との陳情も相次いだ。神奈川県警もそれなりの取り締まりをしていたのだろうが、壊滅するまでにはいかなかった。
 それが変わるきっかけになったのは1999年。
 京急電鉄は、戦前製の鉄道高架橋に耐震補強の必要性がある、として、高架下に入居していた店子と退店の交渉に入る。補強が本当に必要なのかどうかはともあれ、出ていってもらう"理由"ができた。
 そして、2000年頃には完了した。
 はずだったのだが……、そうは簡単に解決しない。高架下で営業していた多くの「スナック」がすぐ近所に引越し始めたのだ。高架線の両脇に狭い路地が続いているのだが、そこに面した木造二階建てが新たなビジネスの場になった。

セーラー服のコスプレをしたタイの女の子に声をかけられる

 僕が初めて訪れたのは2001年。以前から町歩きとかが好きでいろんな所を訪ねて回ってきたが、この頃は、この手の街の存在が気になり始めていた。
 ある春の夜9時過ぎ。まだ戦前の鉄道駅の香りが残る黄金町駅を一通り見物した後、高架沿いに歩いてみた。
 入口に「初黄町町内会」という看板があって、「めざそうみんなの協力で明るい街をづくりを」とあった。「売春飲食店の撲滅を」とも訴えかけている。ここが「明るい街」ではなく、「売春飲食店」があるということをアピールしてくれている。
 大阪にもあるような下町然として住宅が道路の脇に続く。
 でも、その200mほど先には、けばけばしいピンクのネオンサインが……うわあ、凄まじい数の店があるよ。
 「スナック」の建物は木造二階建て。中を覗くと、カウンターと4、5人分の円イス。六畳ほどの狭さで、奥に階段っぽいスペースもある。二階にカーテンで締め切られた部屋がある。ここで「仕事」をするんだろう。
 他もだいたい同じ作りをしていて、ここらの標準タイプというところ。面白いのは、一部に築年数の新しい建物もあるということ。工事現場にあるプレハブみたいなかなり安物の作り。

  • 最盛期の店舗数250。
  • 700〜800人の女性が1日3交代で働いていた
  • 二階建ての建物の1階が「スナック」。二階部分にある小部屋(3畳ほど)が仕事場

 呆然と見回していると、頬を白く塗りたくった女の子が手招きしてくる。
「おにいさん、あそび……」
 "さ"と"そ"にアクセントがあるという妙なイントネーション。見るからに東南アジア系の方だと分かる。
 雨上がりの寒い夜だったので歩いている客は決して多くない。客引きにも力が入っている。ただ、店の外は出ない。強引に引っ張り込まない。そうしたルールはここにあるみたい。
 そんな一軒にふと近づいてみた。声をかけてきたのは、たぶんタイの子。なぜかセーラー服を着ている。この業界もコスプレで付加価値を付けようというのか。
「今日は安くするよ」というので聞いてみたら「1万5千円」。
 これは相場よりかなり高いのかな。「それは高いよ」という顔をしかめると、「1万円」になった。サービスはいい、らしい。
「出身、どこなの?」
「タイ、バンコクよ」
 やはりそうか。来日して半年。ということは、観光目的できて不法滞在を続けているということか。
 片言ではあるが日本語を喋ってくれる。でも、会話を続けるほどでもなさそう。というか、気もないのに物見遊山で見物している……のに、だんだん申し訳ない気分もしてきた。
 そんな僕の心変わりを知ったのか「8000円」に下がる。
 一瞬迷った。この娘、なかなか好みで……
 と、これ以上いたら未練が残りそうなんで、「ごめん、また」と店から一歩、離れる。
「あああ……つ、ケチ!」とか後ろで言われたのが聞こえる。なんかタイ語で罵られたような気もするけど、まあそれはそれ。
 その後、さらに奥まった路地のアンモニア臭が凄いエリアとかを一通り見回る。1店舗に女の子は1人という配置になっていて、メインはタイと中国系の子らしい。南米系っぽい人も数人いた。「日本人います」という紙が張っている店もあったが、正直、かなりお年を召された方のようだった。
 とにかく店の数は多くて飽きない。そっちが好きな人には魅力的なところなんだろうというのはよく分かった。
 何度か飛田新地とか松島新地とかも歩いた経験はあるが、関西の「新地」とも、ちょっと雰囲気は違った。建物が安っぽいのと、店にいるのが海外の方だというのもあって、退廃的な香りは色濃く漂っていながらも、どこかドライさがあるのだ。"情緒"というものを掻き消した、商売本位の姿勢がそこにはあった。
 再び黄金町駅へと帰ろうとすると、さっきの女の子のいる店に通りかかった。ゴメンね、と軽く手を挙げると、あっかんべーをしていた。そんな日本の仕草まで覚えているのか……

2004年12月、神奈川県警の「バイバイ作戦」で街は壊滅

 その後も、東京滞在でヒマなとき、何度か訪ねてみた。
 2002年に訪れたときは、高架線のすぐ裏側にある大岡川が全国の注目を浴びていた。たまちゃんとかいうアゴヒゲアザラシがいるんだということでカメラを構えた善男善女たちが橋のたもとにたくさん集まっていた。でも、黄金町はいつものような感じ。夜ほど派手さはなく、女の子たちもイスに座りながら通りすがる客に声をかける程度。どこか、東南アジアのどこかの街の片隅を思い起こさせるような、ほのぼのとした雰囲気もあった。
 一度、夜8時に行ったら、誰も女の子がいなかったことがある。摘発されたのかな……とキョロキョロしていると、ある年配の人が声をかけてきた。この時間帯、神奈川県警による定時の見回りが来るので、店は全て閉鎖してしまうんだとか。でも、裏でやっているけど来ないか……というお誘いだった。丁寧に断り、近くの茶店で時間つぶし。9時頃に再びやってみると、街の「スナック」はいっせいにオープンしていて、いつものようにピンクの灯火で薄暗い路地は照らされていた。
 ネットで報告しているサイトもいくつか見てみた。
 よくまとまっていたのはここ。http://gama.muvc.net/。地図と店舗情報まで完備。
 当時のことを書いたサイトはいろいろあるけど、なんとなくそれらしくて写真が載っているのはここ。http://erowriter.at.infoseek.co.jp/kanagawa_koganecho/kanagawa_koganecho.html。上の部屋は2、3畳ぐらいしかないのか。
 そんなこんなで黄金町という国内随一の異様な街は続いていた。高架下でやっていた頃は100軒ちょっとだったのが、一時期は250軒を越えるようになったんだという。


 だが、そうした街並に抵抗感を覚える人たちも当然ながらたくさんいたわけで、2002年9月に「風俗拡大防止協議会」を設け、横浜市京急などと協議に入る。翌年には「初黄・日ノ出町環境浄化推進協議会」が設立される。
 そして、中区など地元自治体が、黄金町界隈の「環境浄化」を求めて、売春防止法の罰則強化・不法滞在者の取締り強化を求める要望書を提出。
 今まで黄金町で行われている違法行為を静観していた神奈川県警もこのエリアに手を出さざるを得なくなった。この頃、お隣の警視庁が、石原慎太郎知事の音頭取りで風俗店の取り締まりを強化し始めている。その影響もあったのか。2004年12月に県警の機動隊が大型バス10台で来襲。翌2005年1月から、24時間体制のパトロールを始める。通称、バイバイ作戦。警官が四六時中、道路を巡回しているとなると、不法滞在している外国人たちに売春をさせていた店側も営業を続けることができなくなる。
 その後も、散発的に闇営業→取り締まりが続けられ、今では、その手の商売は当地でなされていない、らしい。
 2005年の春頃、この高架線沿いを訪ねてみた。当時の建物はそのままだった。でも、街から女の子の姿もピンクのネオンも人通りも消え去ってしまった。警察官が2、3人、行ったり来たり不審な行動をする僕を睨み付けているだけ。
 売春を巡っては、様々な議論が存在する。特に海外からやってきた女性については人身売買的な側面もあるし、慎重に語らないといけないというのは承知している。もちろん、この「環境浄化」は一部の地元住民にとっては良かったことなんだろう。
 でも、その反面、失われてしまったものもある。少なくとも僕が興味を抱くような街ではなくなった。

そして誰もいなくなった京浜急行電鉄黄金町駅高架下の元売春街を歩く

 3年ぶりに黄金町駅を訪ねてみた。
 横浜市はここを「初黄・日ノ出町文化芸術振興拠点(仮称)」と称して、アートの街として再開発していくことに決めたらしい。2008年から「黄金町バザール」がスタートしている。それが、売春の巣窟とされた街並みとどのように溶け込んでいるか。ちょっと気になっていたのだ。


 品川駅前で京品ホテルを見物した(レトロモダンな駅前旅館、京品ホテルが自主営業している姿を訪ねて - とれいん工房の汽車旅12ヵ月)後、京浜電鉄の普通を乗り継いで黄金町駅に向かった。町歩き好きの友人も同行している。
 大改装されてエレベーターも設置されたが、駅自体はありふれた都会の小さな高架駅である。
 改札口から出て、道路を越えると、異世界が広がる。

 その結界だったのがこの看板。

 この先、二階建ての木造建築がぎっしりと路地の脇に建ち並んでいる。それは昔と変わらない。ここに「スナック」という名の飲食店が多数看板を掲げていた。
 ただ、どの店もどの店も全て閉鎖されている。

 この「スナック」も

 あそこも

完全に閉店状態。見事なまでに人影は消えてしまった。外国人の女の子で華やかだった面影は何もない。
 上でも書いたけど、初めて行ったときにタイの女の子が声をかけてきた。その子のいた店はここら辺だったと記憶している。築年数の新しいプレハブ小屋が狭いスペースに集積していたところだったけど、入口は固く閉ざされている。

 代わりに、ここで目立つのが警官。ざっと数えて4人ほど高架下の元売春街を警備していた。高架下に伊勢佐木警察署の交番ができている。

 カメラを構えた僕たち中年男2人組。買春目的ではなく、元売春街の痕跡を物見遊山に来たというのは一目瞭然なはず。それでも、職務に忠実に僕らの動きを監視している。
 その近くには私服の年配の男性が1人。彼もまた僕らをジロジロ見ている。浄化された街に売春目的の人間が来ないか見張っているのか。あるいは裏の商売をやっていて客を捜すために立っているのか。そこらは判別はつかなかった。
 かくして、

とあるように、「明るく住み良い街」がここに達成された。
 というか、この街。もう誰も住んでいないんじゃないか……


 で、1990年代以前に飲食店街が集積していた京浜線の高架下はこんな感じになっている。

 橋桁の耐震補強工事のためフェンスで囲まれている。90年代まではこの下の部分に「スナック」が密集されていたらしい。なんで、京急もそうした人たちに永年、貸し出してきたんだろう。なんで断れなかったのだろう。いろいろ権利関係がややこしかったのかな。
 で、一部では工事が完成して、こんな感じに。

 「黄金スタジオ」と名乗り、 アートイベント用のフロアーになっている。喫茶店もやっているらしいが、この日は休店していた。
 ここに参加している店舗のリストはここhttp://www.koganecho.net/tenants/index.html。オシャレ系の人たちだらけだ。
黄金町バザール会場施設がショップやアーティストの活動拠点に - ヨコハマ経済新聞
 春をひさぐ外国の女の子だらけだった頃とは180度別な方向に向かった展開である。かつての負のイメージを払拭するがためにナウなヤングにバカ受けしそうなエッセンスを盛り込んだのだろう。でも、異世界的な雰囲気があるっていうのは、ある意味、昔と変わらないのかも。付近の街並とは明らかに溶け込んでいない。
 そして、まちづくりの拠点となっている黄金町バザールhttp://www.koganecho.net/はここ。

 かつてのスナックを改装したものだ。事務所に何人かいるのが見える。
 他にもラーメン屋とかに転用されたところや、解体して駐車場となっているところもあるけど、往時、200あったという店のほとんどはそのままになっている。
 地元住民は風俗街というイメージを嫌って「環境浄化」を推し進めていたが、売春街の一掃によって迷惑を受けた人たちも少なからず存在する。スナックとして建物を貸していた地権者や不動産屋にとっては日銭が入らなくなったわけで、この数年の動きは死活問題である。
 で、ある業者の複数のテナントにはこんなビラが貼ってあった。

 レンタルマンションとして貸し出します。レンタルルームだと1000円/日。水商売や風俗業も可。
 う〜ん、これ。文字通り、「部屋を貸す」というだけじゃないんだよね。実態として、「レンタルルーム」=「ラブホテルの簡易版」であるというのは知る人ぞ知る。現在、この黄金町のスナック跡に「レンタルルーム」しての需要があるのかどうか不明だけど、昔と同じ風俗的な使い方も可能だ。
 産経新聞横浜総局のブログは、

 一方で、同地区に並ぶ元売春宿は土地と建物の権利者が複雑なため、その後の土地売買は思うように進まず、約150軒の空き家が今もそのまま残っている。
黄金町売春街に芸術家集う(横浜市中区

と伝える。他の用途に使おうにも、狭隘なスペースゆえに、戸建て住宅や商業施設を整備するのは難しい。売春を撲滅し、部分的に「アートな街」にできたとしても、それだけで「まちづくり」が終わったわけではない。後の処理はかなり大変そう。
 近年、日本の風俗産業に対する取り締まりは厳しくなっているが、それは主に「店舗型」と言われるサロンやヘルスに対して。むしろ、ここ数年、ラブホなどに人を派遣してサービスを行うデリバリーヘルスタイプの業態に転換するケースが多いと聞く。かくして買い手も売り手も人の目に触れにくい空間へと消えていった。
 そして、「悪所」の猥雑さと魅力に満ちている街並みが次々と消滅した。不法行為の取締と住民感情を考えれば、それは当たり前のこと。でも、街が浄化されていくことに一抹の寂しさを感じているのは私だけではないはず。関西に残る新地も早晩こういう事態に襲われていくのかなあと気にはなっているのだけど、それはまた別の話。<参考>繁華街とピンク街 - とれいん工房の汽車旅12ヵ月