趣味を持続するときに必要な気持ちと「断念」するときの振る舞い

katamachi2009-11-12

 この2週間、公私ともにドタバタしていて更新もできていません。すみません。その間のお知らせ。
 この日記の名称の元になっている「とれいん工房」。2009年冬のコミックマーケットに落選しています。相棒や知人も桁並み落ちているんで委託もできなさそうです。
 「モノレール・クロニクル」という、モノレールの国内創生期を題材にした本を準備していたんですけど、中止にします。これもパソコンのフォルダーの肥やしになるんですかね。
 コミケに初めて申し込んだのは晴海に戻ってきた後の1993年夏コミ。
 以来、17年、基本皆参加。サークルが当選すれば新刊を出してきたし、サークル名を変えずに同一人物でコンスタントに活動をしてきた鉄系サークルってオレぐらいじゃないのって自負くらいはあるんですが、コミケ、特に冬コミの当選率は芳しくない。
 ちょっと自分のサークルの備忘録から、この17年のコミケ当落の経緯を抜き出してみた。

とれいん工房のコミケ当落の記録

1993年8月 コミックマーケット44 ×
1993年12月 コミックマーケット45 ×委
1994年8月 コミックマーケット46 ×委
1994年12月 コミックマーケット47 ×委
1995年8月 コミックマーケット48 ×
1995年12月 コミックマーケット49 ○
1996年8月 コミックマーケット50 ○
1996年12月 コミックマーケット51 ○
1997年8月 コミックマーケット52 ○
1997年12月 コミックマーケット53 ○
1998年8月  コミックマーケット54 ○
1998年12月 コミックマーケット55 ○
1999年8月  コミックマーケット56 ○
1999年12月 コミックマーケット57 ×委
2000年8月  コミックマーケット58 ○
2000年12月 コミックマーケット59 ×委
2001年8月 コミックマーケット60 ×委
2001年12月 コミックマーケット61 ×委(申込忘れ)
2002年8月  コミックマーケット62 ○
2002年12月 コミックマーケット63 ○
2003年8月  コミックマーケット64 ○
2003年12月 コミックマーケット65 ○
2004年8月  コミックマーケット66 ×委
2004年12月 コミックマーケット67 ×委
2005年8月  コミックマーケット68 ○
2006年12月 コミックマーケット69 ×
2006年8月  コミックマーケット70 ○
2006年12月 コミックマーケット71 ○
2007年8月  コミックマーケット72 ○
2007年12月 コミックマーケット73 ×委
2008年8月  コミックマーケット74 ○
2008年12月 コミックマーケット75 ×委
2009年8月 コミックマーケット76 ○
2009年12月 コミックマーケット77 ×
※○はとれいん工房として当選。×は落選。委は落選→委託

結果

  • 当選 19回
  • 落選 14回
  • 当選率 58%


ということになった。なお、書類不備での落選は一度もない(コミケ61は申込忘れ。上にカウントせず)。

コミケに申し込んだのは33回にもなるのか。

 改めてみると、90年代半ばの5連敗というのが信じられない。コミケ45以後は新刊を出し続けたのに、鬼のように落ち続けた。
 そして怒濤の8連勝。コミケ56ではなぜか有明西館の壁に配置された。隣は岡田斗司夫。この時は嫌な悪寒が的中。過去最低の売上を記録した。販売部数55冊は、自分参加したイベントでダントツのビリです。他の鉄系サークルから離れ小島になっていたのがあまりにも痛かった。
 そして、次のコミケ57(1999年12月)。気合いを入れて156ページの新刊2冊「未成線」シリーズ第1弾・第2弾を持ち込もうとしたんだけど、落選。知人サークルで委託させてもらってなんとかさばけたんだけど、かなりガッカリ来たのを思いだす。
 その次のコミケ58では当選したんだけど、以降は、あまり勝率が芳しくない。
 コミケ58〜77で、19戦のうち11勝8敗(ほか1不戦敗)。勝率58%。ここらの数字は平均なのかなあ。
 特に冬コミがヒドイ。9戦4勝5敗。勝率44%。コミケ61での1不戦敗も、2連敗した後、やる気と記憶が途切れて申込をし忘れたときだ。
 まあ、この世界に20年近くお世話になっているし、青封筒だ、ダミーサークルだ、大手サークルへの配慮だ、スタッフが大手ブースが……とかなんとか、いろいろ状況は理解している。経験や中身は問わないというのも、公平性という観点からは当たり前のことだ。コミックマーケット準備委員会の方向性、なにより米澤前代表の考え方には多く共感できることがあった。
今さらなんですが、米澤嘉博さん、ご冥福をお祈りいたします。 - とれいん工房の汽車旅12ヵ月
 ただ、それと個人的なことは別なんですよね。正直、この当選率が続いていると、気分が滅入ってくる。

なんでコミケに参加しようと思ったのだろうか。

 初めて申し込んだ1992年。僕は20歳だった。日本の全鉄道完乗を達成し、鉄道趣味へのモチベーションが低下したとき、何か新しいことをやりたくなって自分で文章を紡ぐことに取り組んだ。高校・大学鉄研時代からの経験や実績を同人誌活動へと発展させることができた。
 90年代半ば。コミケや鉄道系本屋で販売しつつ、出版者に拾われて文章書きも始めた。コミケで出した本をベースに2001年と2002年に商業本として単著を出せた。
 これらの活動は本業とは全く無縁なんだけど、それは僕の人生に多かれ少なかれ影響を与えてきた。

  • 自分の知らないことを知ってみたいという探求心
  • 誰も知らないようなことを発表したいという自己顕示欲

が若い頃にあったのは確か。だから、本を作り始めた。
 2006年から、この日記を始めた。同人誌とは違うことをやりたくなって、夏コミ直後に開設した。それから3年と少し。ブログの可能性と限界。同人誌とは違う楽しさも感じ取ることができた。と、共に、同人誌がネットより優れている点もたくさん見つけることができた。
 でも、その新鮮さが、三十路も後半になった今の僕にあるのかどうか。日常生活が変わりつつあるのに、昔の気力を前提にした活動でいいのか。ここ5年ほど迷っていた。

  • 気力の減退。忙しさ→動機の低下
  • 楽しさや自負と経験、お客さんの存在→継続への意欲

 両天秤をかけたとき、「継続への意欲>動機の低下」は自明だったんで17年間続けてきたんだけど、それが微妙になってきた。僕を取り巻く環境は学生時代とまったく違う。


 趣味でも人間同士でも、同じ関係や興味を持続し続けるのは難しい。だからこそ、新しい距離感や視点を見つけることで、再構築を図るのだろうと思う。少なくとも17年前の僕はそうだった。
 では、趣味や人間関係を「持続」させようと思い続ける動機とは何か。妥協、打算、惰性……いろいろあるんだろう。考えるのが面倒になれば、今まで続けてきた趣味なり人間関係なりを切り離せばいい。
 じゃあ、僕は、今後、コミックマーケットに対して、今まで感じてきた想いと期待以上の何かを見つけられるんだろうか。こうなると、もはや当選率うんぬんとは無関係の、自分自身の課題となってくる。これはコミケに限らない。
 他の人たちも同じような経験を多かれ少なかれ経験したことはあると思う。「断念」しないと、人生は次のステージに行かないから。そうやって趣味や人間関係を「断念」するとき、どのように感じたのか。そこらを聞いてみたい気もする。少なくとも、僕は「●●が変わったからなあ」「●●は最近面白くない」と、自分がお世話になってきた世界を軽くみるような言説だけは慎もうとは心がけたい。
 長々と語ってきたけど、一言で言うと、「もう潮時なのかなあ」と思い始めたと書きたかったんですが、それはまた別の話。<参考>
はてなで日記を書き始めた理由。 - とれいん工房の汽車旅12ヵ月