お泊まり出張の帰りは「はまかぜ」でカニを食べたい。
仕事で遠出するときはほとんど新幹線で移動するのですが、帰りは若干、時間に余裕があるときも。そんなときは、これ幸いと好きな列車に乗って寄り道することがあります。
昨年夏、「関西〜東京間の出張で安く便利に寝台列車に乗る方法 - とれいん工房の汽車旅12ヵ月」で書いた夜行列車で関西から関東に移動するという方法もその1つ。その半年後、「北陸」「能登」の廃止が報道されたんだけど、今でも「きたぐに」での移動は可能です。来来週の東京出張はこれで行くつもり。
で、西へ向かったときの帰り。時間に余裕があったらキハ181特急「はまかぜ」を利用するようにしていました。
たとえばこんな感じで。
2010年6月 倉敷発岡山・鳥取・餘部・香住経由大阪行き
倉敷市内のホテルで一晩過ごした翌朝、水島臨海鉄道のキハ20を3本ほど乗ってから岡山に向かいました。
岡山からは「スーパーいなば」。キハ187の2両編成は7割ほどの乗りでした。
山陽本線を走っていると、上郡の手前で緊急停車。しばらくして「シカと衝突しましてただいま点検中です」との放送がかかりました。7分遅れで上郡到着。特に異常はなかったようです
鳥取までで遅れは回復できませんでしたが、普通列車は待ってくれていました。
次の目的地は餘部駅。翌々週には使用が停止される余部橋梁を見に来たんです。
浜坂駅乗り継ぎの間に駅弁を購入。「余部鉄橋物語」。
「はまかぜ」まで待とうかと思いましたが、あまりにも腹が減ったんで封を開けます。
幕の内系の弁当ですが、ちらし寿司の部分の上にカニもぱらぱら乗っていました。うまいか、というと、微妙ですが、まあそこらは記念物ということで。日本海を車窓で眺めながら、ひと息に食べてしまいました。
米田茶店 (よねだちゃてん) - 浜坂/弁当 [食べログ]
餘部駅には12:22着。平日で18きっぷシーズンの適用外の日。今回は幸いなことにマスコミ報道でも余部橋梁の運用停止はほとんどスルーされていたんで、現場は落ち着いたものでした。
ホームの下まで降りて、最後の余部橋梁を見学。
青い工事用カバーや、橋の向こうの新しいコンクリート橋も視界に入ってきますが、23連の橋桁で構築される鋼製トレッスル橋は青空の下で真っ赤な最後の姿を見せてくれています。
途中、12:45に普通列車が通過していきます
そして、橋の上に戻ってきました。ご同業の方が3人ほどホームでカメラを抱えています。
13:04、轟音を立てながらトンネルを抜けてくる列車がやってきました。
本日の本命、キハ181「はまかぜ」1号です。
トンネルを抜けてくると、撮影している連中に緊張が走ります。大阪から3時間半。遠路はるばるご苦労様です。
この後、観光客っぽい人が遮断されている構内踏切を無理矢理横断しようとして係員に止められています。危ないよ.....
ふわーんと警笛を鳴らしながら駅ホームの工事現場を通過していきます。
いいねえ。青い海にキハ181は映えます。
この後、次の普通で香住に移動。
さっきの「はまかぜ」1号が浜坂まで行って4号として帰ってくるのを待ちます。
13:49、香住駅着。逆光、か......
所定の4両編成です。
ヘッドマークは、1985年に登場時以来使われてきた絵入りのもの。次の新型キハ189にはヘッドマーク用の台枠は用意されていないんだよね。どうなるんだろ。
ちょっとグリーン車に。やっぱり客はいません。古さは否めないですけど、足のせと赤い絨毯がいいですね。
で、僕の指定席は運転台裏の1号車1A。ナンバーとしてはイイ数字だけど、ううう、ちょっと狭いよ。
これで大阪までの旅がスタートです。
午後のシエスタの時間、うとうと眠りながら但馬路を走り抜けます。竹野、城崎で観光客、豊岡、江原、八鹿でビジネス客を拾いながら和田山到着。
ここから播但線を南下していきます。乗客は自由・指定は7割の乗り。
100kmには到達していないのは継ぎ目の音から想像できますが、古さゆえのエンジン音のけたたましさ。でも、マニア的には心地よい子守歌になるんですよね。
姫路駅に到着。利用者の3割ほどはここで降りていきます。
ここでエンドを変えて今度は4号車を先頭に山陽本線を走っていきます。
途中、神戸あたりから普通列車と追いつき追い抜きを繰り返しながら、なんとか大阪駅まで逃げ切りました。
大阪駅到着は17:11。
その1分後、隣の11番線から485系「雷鳥」が出ていきます。
ちょっとピンぼけしたかな。
僕は京都まで行かないといけないんで、17:15発の新快速に乗り込みます。
呆気ないけど、「はまかぜ」出張はこれでおしまい。
181系とはまかぜ
キハ82をパワーアップした山岳対応の気動車。エンジンも従来のDMH17系から、新発想のDML30HSCに置き換えたのが進化のポイント。外見では巨大な自然通風式ラジエーターを屋根上に並べたのが特徴的でした。
1968年に奥羽本線「つばさ」、そして中央西線「しなの」、伯備線「やくも」に導入され、70年代後半からは山陰や四国を主戦場にしてきました。
「はまかぜ」などに投入されたのは1982年。「やくも」のお古が回されました。でも、90年代半ばから次々と新車に追われていき、1993年に四国から淘汰される。
JR西日本はそれでも使い続けたけど、2001年になってようやく新車による置き換えを実施していく。
山陰地方では2005年の「いそかぜ」廃止で置き換え完了。
でも、JR西日本のキハ181特急では一番格上であった「はまかぜ」の新車はなかなかスケジュール化されず、最後の最後となった。「はまかぜ」3往復と多客期の臨時列車。そして冬季の常連となった「カニカニはまかぜ」。
どこまでしつこく残るんだろう、と思っていたら、但馬を選挙区としている政治家(当時)の発言で新車投入を知りました。
あの113系3800番台運用終了に悲しむあなた。「寝台特急出雲を復活させる会」(石破茂会長)に参加しよう。 - とれいん工房の汽車旅12ヵ月
結局、2010年で事実上の引退。1号機の営業運転から42年の歳月が経っていました。先輩のキハ82をはるかに上回る長寿を全うしました。
2010年10月 福山発瀬野・広島・姫路経由大阪行き
10月の福山出張の帰りも「はまかぜ」を利用することにします。
方法は、5月に山口へ行ったときと同様、新幹線乗り継ぎで姫路からの乗車です。新幹線で直通するより少しは安くなります。
瀬野で「「小学生専用」と「小学生乗車禁止」の列車が広島市のスカイレールで毎日6本走っている - とれいん工房の汽車旅12ヵ月」を体験乗車した後、広島から「ひかりレールスター」で折り返しました。これも2011年3月改正以後はどういう扱いになるのでしょうか。名前はなくなるのかなあ。
下車駅は姫路駅。ここで16:05着の「はまかぜ」4号を待ちます。
機器類が車体の3分の1を占めている先頭車キハ181。4両という短編成では凄くもったいないんだけど、ここ20年はずーっとそんな使われ方をしているんですよね。
10連とか長編成で走っていたのは80年代半ばまでだもんなあ。改めて国鉄的なムダが多い車種でした。まあ、それが魅力でもあるんだけど。
今日もまたお顔の撮影。
歴戦の勇者だけが持つエンブレムは格好いいんだけど、窓回りの金属部やゴムがボロボロになっているのもよく分かる。厚化粧してももう30歳代後半だからなあ。
やがて姫路を定刻に発車。
自由席の乗車率は4割程度。姫路で降りたからだけど、ちょっと寂しいところ。平日にもかかわらず御同類も車内に3人はいるかなあ。
幅広の窓と明るい車内は好感が持てます。
新快速が130kmで走る区間、鈍足特急「はまかぜ」は最高120km。加速ではぜんぜん太刀打ちできないんですよね。
神戸駅に近づくとまったりとしたスピードになります。
次の三ノ宮駅との間で、隣の207系に軽やかに抜かれていく。40年選手の悲哀です。
10月にもなると日の暮れるのが早くなります。曇天の中、うっすらと落陽が車窓に広がっていきます。
やがて尼崎を過ぎると、懐かしいチャイムが鳴り響きます。懐かしき「アルプスの牧場」
JR東西線や大阪環状線の電車とも行き交いながら大阪駅のホームに向かいます。
17:10、定刻に大阪駅着。
降り立ったビジネスマンに混じりながら、背広を着た僕も先頭部に行きます。もちろんカメラを構えながら。
2分後、今日も隣のホームから「雷鳥」が出発。
国鉄型の巨頭2列車が並ぶ瞬間です
乗客を含めて先頭車で撮影しているのは10人程度でした。「はまかぜ」のキハ181系引退を伝えるメディアはちらほらありますがどこも扱いが小さい。分かり易い新幹線やブルトレと違って、キハ181が引退する意味に興味を持つ新聞やテレビがないんでしょうね。あまり煽られないのは幸い。
臨時列車の運転は来春まで続く可能性はある、とのこと。とりあえず、「はまかぜ」の年末年始の臨時は新車になるみたい。「カニカニはまかぜ」も1月8日以降は新車とパンフレットにリリースされているんで、12月23日で運転終了ですね。
さて、定期の方は、最後の運転まで4回土日祝があるけど、非日常的な「お祭り」状態はスルーします。
なんで、僕の「はまかぜ」体験はこれでおしまい。11月は半ばに宇部へ出張するんで、そのときは新型「はまかぜ」を姫路〜大阪間で乗ろうかなあ。あるいは12月にカニを食べに香住へ行こうかなと画策しているんだけど、それはまた別の話。<参考>
関西〜東京間の出張で安く便利に寝台列車に乗る方法 - とれいん工房の汽車旅12ヵ月
来春には消える元485系の「はしだて」と「北近畿」を乗り継ぐ - とれいん工房の汽車旅12ヵ月