パソコンの前から3月11日にラストランを迎える10列車を見送る

katamachi2011-03-11

 花粉症が飛散する今日この頃、いかがお過ごしでしょうか。
 様々な列車が本日でラストランとなるにもかかわらず、ここ1ヶ月は鉄道趣味活動からご無沙汰です。本業が忙しくなってきたのにあわせて、大量の鼻水によってテンションはダダ下がりだからです。
 あと、混雑している場所に行きたいとすら思わないというのもある。僕が好きなのは日常の風景を淡々と走り抜ける列車の姿であり、お祭り騒ぎになっている現場にわざわざ立ち会おうという気にはなれない。この十年間で趣味の現場がイベント化していくもっとも顕著な姿ですね。非日常的な風景が興味深いのは否定しないし、葬式でもなんでもいいんだけど、日常的に列車が淡々と走っている姿を見守るのも一つの姿だと思うけどなあ。
 てなわけで、本日は我が家のパソコンの前で一足早くラストランを見送ります。きちんと故人の想い出を語るのも葬式の作法だと思うよ。

(1)北陸本線485系雷鳥

 485系の原型である481系が初めて投入されたのが北陸本線に登場した新特急「雷鳥」。それ以降、485系の代名詞的存在であった「雷鳥」という名前もついに消えることになりました。
 僕が2歳だった1974年、亡くなった祖父母と粟津温泉に行ったときにホームで撮った時の写真がアルバムに残っています。後ろに肌色+赤色の電車。湖西線を走る前ですから、「雷鳥」が米原経由だった時の写真ですね。
 僕が記憶している「雷鳥」体験は1980年の親戚との合同旅行。富山〜加賀温泉間に乗ったのですが、583系ボックスシートでした。事前に時刻表で見当をつけて、当日、肌色+青色の編成を目撃したとき、凄く嬉しかったのを思いだします。情報を集めてどんな列車が来るのか予測するという過程を実体験できたのが嬉しかったのです。もちろん583系初体験も。
 大阪駅に行けばいつでも見かける風景もこれでおしまいですね。昨春に乗ったのが最後となりました(下は金沢駅)。

 実は、湖西線が風で運休すると、米原経由に切り替わるんで、朝や夕方に東海道本線沿いにある会社のオフィスからしばしば見送っていました。それが楽しみだったりしましたが、この秋冬は特に多かった(下は虎姫駅付近)。2月に迂回運転していたのが目撃した最後です。

(2)北陸本線419系

 583系を改造して北陸本線用に投入された交直流型普通車用電車。その奇特な食パン型デザインと寝台時代の面影そのまんまの内装が魅力的でした。と、共に、赤色の塗装がインパクトあったんですよね。
 東海道本線米原まで来ると、ちょこんとホームの隅に停まっている3両編成の存在は僕にとっていつしか馴染み深い存在になっていました。
 最初、国鉄改革の過渡期に5年程度使う暫定的な車両だ、と鉄道趣味雑誌に書かれていましたが、登場から26年も使うことになるとは……
 出入り口が狭いんで通勤時の扱いに難があったのは事実ですが、特急電車時代そのままのシートは広くて快適でしたし、空調もよく効いた。走りも車体が安定しているからこそ揺れが目立たない。521系投入後、長浜以北、そして敦賀以北に運用は縮小していきましたが、よく頑張ってきてくれたなあと思います。

 福井との行き来でよく使いましたが、乗ったのは昨年春が最後ですね。内装と外装をしっかり目に焼き付け、いい車両だったなあと、つくづく感心しながら見送った記憶があります。

<参考>食パン顔のゲテモノ419系がだいすき! - とれいん工房の汽車旅12ヵ月

(3)高山本線キハ58

 僕が初めて乗った急行気動車はキハ58「たかやま」でした。祖母の住んでいた彦根から下呂までの親戚旅行。1976年、4歳のときです。実は、僕の鉄道趣味歴を過去までずーっと辿っていくと、ネームドトレインに乗ったという記憶で一番古いのは、「ひかり」「こだま」を除くと、このキハ58「たかやま」なんですよ。
 とか言わなくても、80年代初期から各地で普通格下げが行われても、どこでも見かけました。関西だと片町線とか関西本線にも入っていた。珍しくもなかったんです。
 90年代半ばから急に新型気動車に置き換えられていきますがまだまだ残っていました。まだ大丈夫、と思っていたら、ゼロ年代に定期運用から全滅してしまいました。
 米坂線JR東日本土讃線でJR四国の運用が終了した後、定期運用が残っていたのは高山本線猪谷〜富山間の朝晩の通勤時のみ。最後のキハ58定期運用だったけどなんだか気がそそりませんでした。
 ちょうど昨年春に嫁と大糸線を訪ねたら、臨時的に高山本線のキハ58が入線していました。それがラストの乗車でした。

<参考>
JR四国ではキハ58など国鉄型気動車は風前の灯火(線内の運用ダイヤ付) - とれいん工房の汽車旅12ヵ月
米坂線はキハ58など国鉄型気動車の最後の天国(線内の運用ダイヤ付) - とれいん工房の汽車旅12ヵ月

(4)山陽新幹線700系「ひかりレールスター」のサイレンス・カー

 阪神大震災後、利用が落ち込んでいた山陽新幹線での起死回生を狙って登場した新型700系を使った8両編成。白地に青く線を染めた無印700系新幹線を見慣れた目には、あのアヒル顔でも色を変えれば面構えがよくなるんだなあと感心したものです。
 好きなのはサイレンス・カー。
 音録が好きな人には申し訳ないんだけど、放送を切ってくれて静かなのがいいんですよね。あの必要以上に流れる車内放送、特に広島駅と岡山駅ではひたすら続くのを苦手にしていたんで、ぐっすり眠れる車内は貴重でした。大阪・福岡の移動では重宝しました。発券の関係で空いているというのも有り難い。
 昨秋に山口県に出張したときが最後の利用となりました。

<参考>
車内放送のない静かな空間「ひかりレールスター」サイレンス・カーは残して欲しい - とれいん工房の汽車旅12ヵ月

(5)山陰本線タンゴディスカバリー

 ダイヤ改正で京都発「たんば」「タンゴディスカバリー」、大阪発「文殊」「タンゴエクスプローラー」「北近畿」の名前が消えますね。
 最近は仕事の関係で京都発「タンゴディスカバリー」に乗ることが多かったです。先頭車が展望車というのはいいんだけど、乗降口が2両編成で連結部分前後2ヶ所のみ。日常的に利用するには不便な列車でした。改正後も名前は消えても北近畿タンゴ鉄道直通は生き残ります。

 逆に「タンゴエクスプローラー」は車両のJR直通自体が取りやめとなる。尼崎事故以後、大金をかけてATS-Pも付けたのに。これは十五年前に乗って以来だったんでラストの乗車を何度か考えましたがタイミングがあわず断念。線内特急として頑張っている姿をまた見に行くか。

<参考>
特急「北近畿」に乗りながら北近畿タンゴ鉄道と「タンゴエクスプローラー」を考える - とれいん工房の汽車旅12ヵ月


(6)福知山線485系北近畿

 逆に、「北近畿」はほとんどご縁がなかったです。1986年の城崎電化時に登場した後、乗ったのは3、4回かということ。福知山方面へは所用がなかったし、趣味活動などでも18きっぷでの移動が中心でした。117系とかの利用の方が楽しみでした。
 やっぱり登場時の悪印象もあったのかもしれない。国鉄末期に各地の余剰車を集めたという経緯になんだかなあ、と思ったこと。ダイヤが鈍足で魅力に薄いところ。そして、「きたきんき」という微妙な語感ですね。
 最後の出会いは昨年秋。丹後出張の帰り、大阪市内に向かう所用があったんで、「北近畿」に乗り込みました。

 485系改め183系に揺られながらあまり売れてなさそうな車内販売でジュースを買いましたが、そちらは2月で営業を終了したみたい。

<参考>
来春には消える元485系の「はしだて」と「北近畿」を乗り継ぐ - とれいん工房の汽車旅12ヵ月

(7)鹿児島本線787系リレーつばめ

 鹿児島本線を力走してきた787系も「つばめ」の名を失うときが来たようです。登場から19年。車体も塗装もボロボロになっていて登場時の精悍さは失いつつありますが九州新幹線完成までよく生きながらえてきました。
 最初に出会ったのは片町線徳庵駅近くにある近畿車両工場で新製されて側線で待機していたんですね。前面部にカバーをしていたのが印象的でした。マスコミ向けプレスリリースまで顔を隠していたんですよ。数日後、カバーが外されて、初めて実車を見たとき、ああJR九州は素敵な車両を送り出したんだなあと感心させられたとのを思いだします。開業直後の夏、さっそく九州に乗りに行きましたよ。
 その後、「白いかもめ」や「ソニック」とか新車がいろいろ出てきましたが、水戸岡色が濃すぎてちょっと苦手でした。たぶん、787系を初めて見たときのインパクトが凄かったんですよね。
 昨秋、山口県に出張したついでに「SL人吉号」を往復したとき、「リレーつばめ」にも乗ってきました。新八代駅手前の短絡線を登って新幹線ホームの隣りに滑り込む瞬間、どきどきさせられました。こういう風景ってヨソでは見られませんですからね。


<参考>
2011年春改正で用途を終える787系「リレーつばめ」と新八代駅の新在連絡ホームを見に行く - とれいん工房の汽車旅12ヵ月

(8)日豊本線485系「にちりん」

 485系は九州でも明日が定期運転最後ですね。福知山の元485系あたりと比べれば内装がしっかりリニューアルされているんで古さもそれなりに抑えられています。そこらはきちんとカネをかけていたんだなあ。
 初九州訪問をしたのは中学1年生だった1985年春。ローカル線乗車を中心とした3日間の旅の行程が終わり、「彗星」で大阪まで帰ることになっていました。中津から寝台券を持っていたので、時間調整を兼ねて「にちりん」で向かいました。九州北ワイド周遊券を持っていたんで特急に乗るのもタダ。それが嬉しかったのが印象的でした。長編成でも客は少なかったなあ。
 周遊券組にとって宮崎界隈は遠いんだけど、急行も特急もタダで乗れるんで、ムダにブラブラしていました。宿代わりに下り「日南」で南に下り、朝の「にちりん」で大分や延岡まで戻るとか好き放題。でも、周遊券がなくなった後はご無沙汰でした。2004年に「彗星」で延岡に行った帰り、延岡〜大分の「にちりん」を乗ったきりでした。

 今回、嫁と企画していた鹿児島旅行の一環で、2月の三連休、485系「にちりん」「きりしま」のリレーを楽しんできました。日豊本線南部の区間特急という寂しい使われ方ですが乗り応えはある距離と景色ですね。土曜からは787系などに置き換えです。

(9)城東貨物線DD51

 梅田(貨物)駅を廃止して再開発用地に提供すべく、その貨物機能の一部を百済(貨物)駅に移す工事が進められています。今年度中にそれが一通りは完成し、今まで吹田信号場〜放出〜平野〜百済間を走っていた貨物列車の牽引機がDD51から電気機関車に切り替えられます。

 この影薄き貨物線に初めて会ったのは今から31年前の1980年。片町線沿線に引っ越したときです。いつも走るオレンジの101系、103系が放出に差し掛かると、コンテナや貨車を多数繋げた貨物列車とすれ違うことがあった。
 この列車どこから来たんだろう。そしてどこへ行くんだろう。日常世界に入り込む異分子たる貨物列車。その存在時代が僕の鉄道魂の中にある探求心を呼び起こしてくれました。
 1982年改正で放出駅が貨物営業を止め、1984年で吹田・竜華の操車場が機能停止した後も生き残りました。百済駅発着の貨物を運ぶために。天王寺経由で浪速駅に入るのも1往復ありましたね。徳庵発の甲種回送の新型電車の輸送も楽しみの一つでした。
 90年代、午後の大学の授業に行こうとすると、いつも放出駅でDD51とすれ違っていました。そういや僕の鉄道同人誌処女作「桜島線と大阪臨港線」って貨物オンリーの本でも城東貨物線を始めとしたDD51の話ばかりでした。
 そして、近作「おおさか東線と城東貨物線」ではこの新旧2路線だけで120ページの本を作りました。
 そういや、1971年に城東貨物線が無煙化してD51などの大型蒸気機関車が淘汰されたとき、老友を追い出した主犯はDD51でした。
 それから40年後、ついにDD51が追い出される番が来ました。登場から42年。関西のDL貨物、最後の活躍場でした。JR東向けに出される甲種回送なんかでは引き続き使用されるのかな。

<参考>
「おおさか東線と城東貨物線」入稿 - とれいん工房の汽車旅12ヵ月

(10)おおさか東線223系直通快速

 まあ、マイナー所では、ここも注目ですよね。おおさか東線を行く223系奈良〜尼崎行き直通快速
 片町線ラブの当方としてはわずか京橋〜放出間だけとはいえ、永年、クロスシート投入を期待し、1984年の冷房車大量投入、1989年の全線電化、1997年のJR東西線開業のたびに裏切らスルーされてきたので、凄く嬉しかったんですよ。
 平日も休日もなんか中途半端な設定である上に、東西線内のホームドアの絡みとかいろいろあって改正後は207系などに置き換えられるんですよね。
 なんとなく噂を聞いていたので、正月に実家へ戻ったときに北新地〜放出間だけ乗りました。いつものようにガラガラでした。


 と、いうわけで、3月12日ダイヤ改正JR西日本と九州では大きく車両が変わることになりそうですね。
 その前日となる今日11日。また各地でカメラを構えた人たちがわんさか押しかけるのでしょうか。485系やキハ58やDD51が消えるといっても、そのニュース価値はマニアの中に留まっているというのが現状の所。テレビではほとんど取り扱われないし、新聞でも短報かネット用サービス向けの記事ぐらいですね。JR西日本のマスコミ対応をしている関係者に聞いても今回はマスコミがまったく盛り上がっていないらしい。
 個人的には、城東貨物線のDD51。印象深いです。月曜日、新快速が吹田信号場を過ぎたあたりで単機でたたずむヘッドマーク付きを見かけました。あれが最期の姿になるのかな。そして、もはや気持ちは「こうのとり」381系や287系、そして「さくら」「みずほ」の方に行っているのですが、それはまた別の話。