"浸透と拡散"する鉄道趣味マインド。そして活動を続ける動機とは

katamachi2007-12-26

 さて、ようやく「不発に終わりそうな「第三次鉄道趣味ブーム」とその課題」の話の続きに戻ります。

鉄道系の基本文献すら押さえていない鉄道入門書

 この秋、大学で交通関係の講義をしている先生方と宴席で一緒になる機会が何度かあった。まあ、その手のゼミや研究室に入るぐらいだから鉄道が相当好きな学生も多いということなのだが、口を揃えてボヤかれていたのが「学生のレポート、みんなネタ元が川島本とWikipediaなんだよね。せめて、裏をとるようにとは言うんだけどね(^^;)」
 大学生のレポートの文章が入門書から丸写しで……といった現象は数十年前から皮肉混じりで何度も言われてきたので珍しくもない。ネットが普及してからは、コピーペーストで済むようになってパクるのがラクになっただけである。
 鉄道関係のレポート、あるいはマニア色の濃い研究文でよくネタ元にされるのは、「鉄道ピクトリアル」と「鉄道ジャーナル」、そして各私鉄の社史といったところか。特に重宝されるのが「ピク」の臨時増刊号と"私鉄車両めぐり"。最近だと、公立図書館によく置いてある川島本がナウなヤングの鉄道基礎知識となっているようである。ここらの記述をテキトーに合成すれば、それなりにまとまった研究文章が完成する。以前、ある鉄研会誌を読んでいると、ただひたすら社史の該当部分を要約しただけという記事があって、う〜んと考え込んだことがある。
 そこらは商業出版される本でも同様である。根幹部分を雑誌や社史に依存した記事を見かけることは少なくない。先人が作り上げてきた研究やデータを再構築するというのも文章の書き方として間違ってはいないが、書き手が汗をかいて集めた資料を使っているか。あるいは借り物と見たまま情報だけで誤魔化しているのか。見る人が見れば、一目瞭然である。
 ところが、最近の「第三次鉄道趣味ブーム」にあわせて出された本。基本的には「第二次鉄道趣味ブーム」とその後の中間期(停滞期)に出されたものの焼き直しにすぎない。ローカル線とか車両とか鉄道旅行について語られる言葉に新鮮味はないし、独自の視点も少ない。鉄道雑誌やベテランマニア、宮脇、種村たちが紡いできた語り口をただそのまま繰り返しているだけである。きちんと先行文献に当たった形跡がないから、掘り下げ方もツッこみ方も浅すぎる。
 たとえば、現在、"駅"について語るなら、JTBが1998年に出した「停車場変遷大事典 国鉄・JR編」を机の横に置いておくというのがまず基本。あと、宮脇俊三編で小学館が出した 「国鉄全線全駅各駅停車の旅」かその新版。そして石野哲「時刻表名探偵」とか、国鉄の各資料とか、参考にしたい本はいっぱいある。でも、どうなんだろう。たまにトリビアっぽい話も書いてはいるが、それは既存の本でさんざん使われてきたネタばかり。もしかしたら、執筆のネタ元に使っているのは、鉄道系の研究文や資料集ではなく、過去に出された鉄道入門書なんじゃないの。自分で本をひっくり返して汗をかいて集めた話ではないから、通り一遍のことしか書くことができていない。
 "鉄道マニア"について語るときも同様だ。なぜ今までの鉄道雑誌や鉄道本で交わされてきた議論が完全に無視されているんだろう。二十数年前の種村の"マニア批判"とそれに対する反論とか、暴走するマニアの話とか、今日的話題と絡めて広げていくことは可能なはずだ。それに、90年代からサブカル方面の評論家やオタクたちの間で語られてきた"オタク論"の成果についても黙殺されている。オールドマニアの捉えていた枠を越えてジャンル間の流動性が顕著になっている現況において、周辺領域について触れないのはいかがなものなのか。

オーバースペックな入門書から次の世代が生まれてくる

 かつては違った。二度の鉄道趣味ブームの時、鉄道関係のムック本や入門書、資料集、写真集の執筆者となったのは鉄道友の会を中心とした先輩マニアたちだった。
 たとえば30年前、こども向けに小学館が出していたコロタン文庫というレーベルがある。ケイブンシャ文庫と共に1978年のブルトレブームの牽引役となった図鑑がここからたくさん出ているのだが、これが今見てもかなりレベルの高いことをやってくれている。たとえば「ブルートレイン全百科」。カッコイイ機関車の写真と共に、「あさかぜ」投入後に使われた客車や機関車の経緯と配置区、改廃リストが盛り込まれている。災害で岩徳線に寝台が走った話、「さくら」に旧客が使われていた時期などなどエピソードも豊富だ。「機関車全百科」、「私鉄全百科」、「国鉄駅名全百科」、「鉄道時刻表全百科」……。協力者の中には川島も含めた友の会のお歴々が名を連ねている。「ピク」本誌でそのまま使える記事も少なくないと思う。90年代以降に出された安易な入門書のレベルを遙かに凌駕している。
 朝日新聞社毎日新聞社が出したムック本、それに小学館の「国鉄全線全駅各駅停車の旅」とその関連シリーズも同様だ。岩波新書から出た和久田康夫「日本の私鉄 (1981年) (岩波新書)」や原田勝正日本の国鉄 (1984年) (岩波新書)」も鉄道マニアならではの豊かな教養と知識に色づけられた奥行きのある本だった。そして、私を含めて多数のマニアをこの道に引きずり込んだ宮脇俊三の著作が本屋に並んだのもこの時期だった。彼の目指していた世界の素晴らしさについては語るまでもなかろう(すでに何度も語ってきたし)。
 最近とかく批判されることの多くなった種村直樹だが、二十数年前に出していた彼の著作の方が昨今の書籍よりはるかにレベルが高かった。ただ漫然と旅先に出て見たこと感じたことを書き連ねるのではなく、地元や関係者たちの意見を拾い上げ、きちんと仕事場に山積みした資料で調べなおし、そうした見聞を自分の知識でまとめ上げようと努力していた。元新聞記者として読者に啓蒙したい、ファンと一緒に楽しみたいという情熱がほとばしっていた。ジャーナリスト的な視点を鉄道趣味の世界に持ち込もうとした種村の意欲はそれなりに評価されてしかるべきだと思う*1
 それがこども向け図鑑の、一般書の編集方法として正しかったかどうか。議論の余地はあるだろう。明らかにオーバースペックである。彼らがシロウト向けの書き方を知らなかっただけかもしれない。間に挟まれた編集者は大変だったと思う。でも、そんなオトナの世界に触れることによって、こどもたち、そして青年たちは、ブームの先に未知の鉄道世界が広がっていることを垣間見ることができた。ブームが終わった後も、残党たちはその先を追い求め続けて、現在に至ったというわけだ。
 そうした書き手の情熱や情念が「第三次鉄道趣味ブーム」に絡んだ本には欠けている。前回も述べたように、80・90年代に鉄道研究と資料調査の分野は飛躍的に深化・進化したと思う。マニアの中で常識とされたトリビアなネタがいくつか覆されていった。鉄道趣味ブームで人口が拡大したことによる副産物とも言える。そこらの成果が、昨今の入門書(&報道&紹介記事)では全く反映されていないというのが不思議でたまらない。自分独自の視点を伝えたい。誰も知らないような情報を発掘したい。そうした意欲がないのだろうか。
 もちろん、「これは入門書なんだから」、「そういうマニア的な見方はよくない」、「あんまり深く調べるつもりもないし」、「マニアさんの読むような本じゃないですから」とエクスキューズをつけるやり方も"あり"だろう*2。自分も含めたマニアが語る言葉が生硬くて読みづらいのは十二分に承知している。易しい内容、分かりやすい言葉で訴えかけることのメリットも少なくないだろう。マニアじゃ書けない本もあるかもしれない。そうした予防線を書き手も出版社もそれを伝えるマスコミも繰り返す。
 でも、入門書だから、初心者向けだからといって手抜きをしてもらっては困る。マニア向けじゃないからって、中身がスカスカというのも寂しい話だ。最初の入口となる大事な本だからこそ、鉄道に限らず幅広い情報を集めて、過去の文献も調べ尽くして、自分のアタマの中で体系的に再構築する中で、言葉や内容を削ぎ落としつつ、丁寧な本作りを心がけて欲しい。もしかしたら、編集者も書き手も、自分たちの知っているレベルで文章を書けばいいやと甘く見ているのではないか。
 残念ながら、今回のブームからは、ジョッキに注がれた生ビールの"泡"の部分しか見えてこない。生ビールの"泡"は口当たりがよくてまろやかかもしれないが、それだけでは困る。お客さんに、肝心の"ビール"を飲んでもらうようにし向けないと、せっかくのブームが長続きはしない。

過去の鉄道趣味熱が再燃した形になる「第三次鉄道趣味ブーム」

 今回の「第三次鉄道趣味ブーム」。そこに流れる源は90年代末からあったわけで、別に鉄子や田中何号が始まったから盛り上がり始めたのかというと、それもまた違う。そこには下で示す三つの大きな流れがある。

  • 第一次鉄道趣味ブームを担った50〜60歳代→会社から一線退いた後の鉄道への回帰
  • 第二次鉄道趣味ブームを担った30〜40歳代→家族を形成していく中での鉄道への回帰
  • 90年代に定番となったローカル線&温泉&駅弁&ウォーキング熱を支えた中高年女性→元鉄系中高年男性や若年女性にも広がる

 鉄道会社の開催する車庫見学会などのイベントに行けば、展示車両を取り囲む家族連れたちの姿で埋め尽くされている。あるいは"想い出の●●"といった列車の走行に集まる"最近、久しぶりにカメラを構えてね"と昔語りする、おじさまたちをよく見かけるようになった。18きっぷなどを利用して東海道本線を東へ西へ移動する老若男女は本当に増えたものだ。●▲線最終日とか▽□系運転最終運用とかごく一部のハレの日をのぞけば、穏やかな空気が流れるようになっている。
 こうした流れは2000年頃を境にすでに顕著になっていた。かつての二度にわたる鉄道趣味ブームで拡散していった種(=鉄道マインド)が、世代を超えて、浸透しつつあるとも言える。いや透明になりつつある社会を生き抜く中で、"鉄道"という色をつけることで自分のスタンスを確認したかったのかもしれない。
 ちなみに、鉄子のベースとなっている三つ目に関しては、もうちょっと解釈。
 宮脇らを軸に展開されたローカル線ブームは80年代後半に収縮していくが、そのエッセンスは90年代にテレビの旅番組や旅行雑誌を経て中高年女性へと広がっていく。宮脇の著作が、鉄道マニアだけではなく、そうした主婦層からもかなり支持されていた(感想のお葉書の半分は大きいお友達、残りは彼女たちからだったという)というのは有名な話である。クルマを運転できず、自力で旅行する機会があまりない女性たちも、宮脇の世界を通して外への回路を開こうとしたのだ。やがて、鉄道会社が鉄道&ウォーキングを展開したり、旅行雑誌で鉄道で行く一人旅を特集しだしたことで、若年女性の旅行好きも移動手段として鉄道を選択する機会が増えた。鉄道旅行に情緒を感じる女性層が中高年から若年層にまで広がったのだ。いや、80年代や90年代の鉄道好きの女の子たちというのはごく少数ながら存在したわけで*3、彼女たちの鉄道に対する思い入れや感じ方は、最近の"鉄子"と大差ない。少なくとも、突然変異で"鉄子"が出現したのではない。
 今回、ことさら「鉄子」という存在が持ち上げられるのは、酒井とか鉄アイドルとかのパフォーマンスが目立つ→マスコミ受けしているからなんだろう。万人に分かりやすい切り口であるため何度も使い回されているが、声なき声、すなわち鉄子自身の声はほとんど伝わってこない。それをブームというのなら、「男社会にオンナが現れたという"ニュース"に価値がある」、「ブームが存在することにメリットがある」と感じる人がそれだけ多いと言うことなのだろう。

鉄分の薄いメディア関係者が打ち出してきた仕掛け

 これに目をつけたのが、鉄分の薄いメディア関係者たちである。

  • かつて「第二次鉄道趣味ブーム」を経験しながらも卒業or淡泊化していった世代がメディアの中核を形成するようになった(今の30・40歳代)
  • 出版不況による一般書籍・雑誌の売れ行き不振。売上高確保のための出版点数の増加と企画の煮詰まり
  • 90年代に"オタク市場"が開拓されたことで、隣接する"鉄道趣味"ジャンルにも潜在的な需要があるのではという期待
  • 2007年を境に退職が増えていくと予想された団塊世代への対応

 すでに家族層や団塊世代をターゲットにした仕掛けは用意されていた。「鉄子の旅」の連載も始まっていたし、ネットでは鉄コラや架空鉄道、あるいは掲示板による鉄道を巡るやや過剰なまでのやりとりとか、新しい動きも出ていたが局地的なものでしかなかった。
 だが、2003年の講談社「週刊 鉄道の旅」の商業的成功やNHK列島縦断 鉄道12000キロの旅」によって、かつてブルトレやローカル線に少なからず関心を持っていた関係者が鉄道趣味市場に目をつけた。それが今般のブームの大まかな流れである。
 なにかが流行っているその兆候を見つけ出し、いち早く紹介するというのはマスコミ人の本性のようなものである。新聞とか雑誌とかでの記者やライターたちのコメントを拾い上げれば、そうした"帰ってきた鉄道好き"な人たちの思い入れによってブームが形成されていったということが理解できる。そして、今どきの"ナウなヤング"&他マスコミを喚起すべく、メディアミックスとか鉄系アイドルとか地上波テレビでの展開とか鉄道会社とのタイアップとか、そうした火薬を次々と市場に投入していった。
 また、一部の鉄道マニアたちも、"鉄道ブーム"がやってくるのを待ち望んでいた。ここ10年ほど、マスコミとその周辺業界でのオタク&アキバに関する"フィーバー"ぶりを隣で見ていると、おらが村にも光を当ててくれよという気持ちがなかったわけではない。大手紙やメジャー雑誌、テレビなどメジャー媒体で「最近は鉄道が大人気で……」と語られて、気分が悪くなるはずもない。なんとなく、世界の片隅で細々と趣味活動をしてきた自分たちも注目されてきたような感じがする。
 そこらの仕掛けは見事だったと思う。
 でも、前のブームの頃から鉄道が好きであり続けた人間には違和感を覚える現象でもあった。ローカル線とか車両とかの語り口になんら新鮮なものを感じないのである。で、新しい価値感や視点が生まれたのかというと、別にそういうわけでもない。ただ、ひたすら既視感のある本が書棚に並び、どこかで聞いたような言葉が繰り返され、そこの表層部分をすくい取った大手マスコミが"鉄道ブーム"と称しているだけである。
 60年代以降、鉄道趣味というマインドが浸透して拡散したことで裾野が広がったようにも見えるが、鉄道趣味とその周辺領域の境界はますます不確かになりつつある。と共に、趣味活動の核となる"何か"、あえて言うならば鉄道趣味人同士の"共通言語"が失われた。細分化と深化が進んだことで、もう全てのジャンルに目配りすることができなくなったのだ。
 筒井康隆が1974年の日本SF大会でテーマとして掲げた「(SFの)浸透と拡散」という言葉は、80年代以降のサブカルチャーを語る上での一つのキーワードとなっている。それは鉄道趣味の世界でも同様である。そういった状況を手放しで礼賛してもイイものなのか。かつての筒井やSFマニアと同様、どこか躊躇してしまう気分が私の根底にはある。

来年にも、魅力的な鉄道本をたくさん読んでみたい

 さて、最後に、今回の"鉄道ブーム"に関する報道ではあまり取り上げられなかったが、ここ1年ほどで魅力的な側面を見せてくれた本を紹介したい。なお、そのいくつかについては、本ブログの過去のエントリーで紹介している。
 やはり筆頭は青木栄一「鉄道忌避伝説の謎―汽車が来た町、来なかった町 (歴史文化ライブラリー)」か。鉄道マニアや郷土史家の間で事実とされてきた"蒸気機関車の煙害を嫌って鉄道建設に反対した"という類のエピソードに根拠がないことをあらゆる角度から論証していく。彼が二十年以上に取り組んできた研究成果が一般書で容易に読めるのはありがたいことだ。原の例の本よりは学者らしい目配りの効いた本になっていたし、この本こそサントリー学芸賞を……と願ったがかなわなかった。残念
 今回のブームの牽引役とされている「鉄子の旅 (1) (IKKI COMIX)」は、"マンガ読み"として読み直してもかなりのレベルに達している本だと思う。菊池直恵の視点と語り口は特筆すべきものがある。食わず嫌いしているなら、とりあえず最初の二冊を読んでみるがイイ。
 鉄道系のムック本で特筆すべきなのは学研の「図説・鉄道車両はこうして生まれる」。題名は入門書的な中身になっているし、レイアウトとデザインが洗練されていなくて非常に読みづらいという問題もある。でも、実際の車輌製造現場のルポや貴重な写真・資料も多く、ベテランたちの貴重な原稿がある一方で、鉄道のメカについて苦手な人間にも分かりやすい解説も付いている。初心者からベテランまで幅広い層をとりこにする内容になっている。続編の「図説・鉄道路線はこうして生まれる」も含めてオススメしたい。
 若手らしい意欲的な取り組みをしていたのは「仰天列車 鉄道珍車・奇車列伝」。手垢の付いた素材でも、切り口や語り口を変えればオイシイ料理に仕上げることができると言うことを証明して見せた。鉄道関係のトリビアな知識をまとめたというのなら「幻の国鉄車両(JTBキャンブックス)」。明治期から末期にかけて国鉄技術者たちが夢見ていながら実現できなかった幻の車両の顛末が事細から描き出されている。当時の国鉄の責任者が執筆に加わっているというのも嬉しいことだ。
 一般向けの新書では「線路にバスを走らせろ 「北の車両屋」奮闘記 (朝日新書 56)」を推薦する。この春からJR北海道が運行を始めた、線路の上を走るバス"DMV"について紹介した一冊だ。当地で取材活動をしてきた新聞記者の手でまとめられたのだが、その開発の歴史と概要がコンパクトにまとめられている。外部の人間でもきちんと勉強していればここまで書けるという好例だ。まだ書籍化はされていないが、朝日新聞大阪本社の土曜夕刊連載企画「ぷらっと沿線紀行」というのはしっかりしている。少し歴史と旅情の匂いが漂っている鉄道スポットを旅しながら名所を紹介していく……というスタイルは今となっては手垢が付きすぎている感は否めない。でも、きちんと現地を訪ねた上で、関係者や利用者の声をたくさん集め、それを丁寧にルポタージュしてくれている。担当しているデスクが優れた人なんだろう。
 鉄道と社会という問題について触れてみたいなら、やはり「マングローブ―テロリストに乗っ取られたJR東日本の真実」か。JR東日本の労使問題について克明に描いたルポタージュだが、その内容については、現在、講談社と著者、そして関係団体との間で訴訟沙汰になっている。国鉄分割民営化による負の側面、そして本書で語られる内容の是非について、いろいろと考えさせるきっかけとなる内容になっていると思う。
 模型関係だと、「新・鉄道模型考古学N―1960年代~2000年代 日本型Nゲージ電車・気動車・客車の製品史 (NEKO MOOK 1060 RM MODELS ARCHIVE)」かな。「鉄道模型考古学 N」ほどのインパクトはないにしても、カタログ的に並べられた模型群から鉄道模型業界の品質向上と多品種化の一現象を捉えることができよう。80年前のNゲージブームの頃にかじった後、トミーテックマイクロエースの開発ラッシュのお陰で鉄模業界に帰ってきた層はかなりいる。そうした空白のある層にも、あるいは長く続けてきた層にも、自分たちの歩んできた道を再確認するきっかけとなるの本だと思う。
 あと、「RMライブラリー」が通巻100号を越えたというのも驚きだ。だいぶ前に廃止されたローカル私鉄や注目を浴びることの少ない小形式の貨車や気動車など、マニアですらフォローできていないジャンルについて目配りがきちんとされている。朝日新聞ホームページの記事によると、1号平均の発行部数は約5千部(初刷で3〜4千か)とのこと。まあ、ここでの内容を全部把握できるマニアというのは数少ないのだろう(私も分からない)が、興味のある題材をいくつか買ってみるといい。鉄道趣味の裾野の広さと研究レベルの高さ、そして貴重な写真素材の数々を実感することができる。また、RM本誌はとかく煽り雑誌とか批判されることも多いが、自分たちがなぜ鉄道を素材として選んで語っているのか。そこらの動機を自覚しながら活動を行っている数少ない出版社だと私は思う。

おしまい

 さて、三回続いた"鉄道ブーム"を巡る話もこれでおしまい。
 あえて結論らしい言葉でまとめようとするのなら、久しぶりに鉄道趣味界へ戻ってきた人に、あるいはこれから関心を持とうしている人たちに対して、「鉄道趣味の世界って、もっと広いんだ。先行きがあるんだ」ということを、どのように伝えていくのか。それが今後の課題となるのだろう。"ローカル線には旅情がある"とか"国鉄型車両には独特の雰囲気がある"とか"鉄道旅行は楽しい"とか"宮脇は偉大だった"とか、ついつい安易な決まり文句を私たちは繰り返してしまう。そうした借り物っぽい言葉を繰り返すのではなく、どうして"旅情"や"雰囲気"があるのか。なぜ"楽し"くて"偉大だ"と思うのか。そうした"感性"や"情緒"を自分の言葉で解釈し、説明していくのが必要なんだろう。
 それは、なにも鉄道本の著者や鉄道関係者だけの問題ではない。受け手である鉄道マニアたちも、自身に対してそれを問い続けなければいけないと思う。そして、少し視点をずらせば、違った角度から見つめ直せば、手垢の付きすぎた鉄道趣味の世界にもまだまだ可能性があるはずだ。それを見つけられるかどうかも一つの才能である。そのことを自戒を込めて確認した上で、自分の体験談なんかも語りたいとは思うのですが、それはまた別の話。

*1:不幸にして、その情熱は80年代後半から微妙にズレて、迷走し始めるのだが、それはまた別の話

*2:余談。以前、あるライターさんと一緒になったことがある。彼は鉄道本も出しているのだが、鉄道雑誌も他人の鉄道本も読まないという公言していた。そーゆーのは難しくてよく分からないし、自分の興味のないことを調べても意味がないという。むしろ、鉄道関係のホームページで調べて、それをまとめた方がいい……ということらしい。検索エンジンで引っかかるような情報には誰もが簡単に無料でアクセスできるようになった。それを拾い集めただけの情報に金銭的価値はない。むしろ、ネットで引っかからない資料やエピソードにこそ真の価値があるはずだ……と説明するのもバカらしくなったので話題を変えた。まあ、そこまで極端な人も珍しいとは思うのだけどね。

*3:個人的な体験で言うと、私のいた高校鉄研ではすでに80年代半ばから女性会員が存在した。コミケや大学鉄研、あるいは鉄道誌の投稿欄に女性が進出してきたのは90年代になってから。今になってカミングアウトし始めたわけではない。