秋葉原になれなかった大阪・日本橋という街

katamachi2008-03-23

 この前、朝日新聞の社会面に小さく載っていた「「アキバ系」店舗が急増 日本橋」という記事のネタ元を捜してみた。日本橋(にっぽんばし)とは大阪最大の電気屋街。ここで地域情報Webサイト「NIPPON-BASHI SHOP HEADLINE」を運営している会社の「日本橋地域の店舗出店動向調査」がそれ。2005年からの3年間、日本橋界隈での出店動向の報告書である。これがPDFファイルで、これがプレスリリース
 それによると、

  • 2005年からの3年間、毎年60店前後の新規出店。ただ毎年50店前後の退店もあり、3年間で純増は30店となる。物販から飲食店・サービス店への移行
  • 店舗の集積が、いわゆる日本橋(もしくは恵美須町駅周辺)から難波駅付近へと重心を移している
  • 2005年に進出した店の3分の1が閉店。堺筋沿いの路面店に限れば新規出店の半数以上が府下他地域でも店舗展開済の大手チェーン店
  • 店舗面積が1,000平米以上の大型店は、2001年11月に12店→2007年末4店。堺筋から大型家電量販店は完全に消滅
  • メイド・コスプレ系店舗の進出は2006年がピーク。退出店が相次いでいる

ということらしい。日本橋によく行っている自分たちにとって感覚で理解していたことが数字で示された。
 ただ、

新たな出店が毎年数十件も行われている点である。これは、日本橋の持つ潜在的魅力と集客力の証左(中略)新規出店のニーズが確実に存在する

とまとめるのはいかがなものか。日本橋の地域情報WEBを運営しているという立場もあるのだろうが、あのエリアを歩いている消費者としては実感に乏しい*1。p2に、

 なお、出店・退店ともに店舗ごとの面積は考慮していないため、必ずしも店舗数の増加が店舗面積の増加を意味するわけではないことのみ、予め留意されたい

と注釈があるように、店舗毎の面積は考慮されていない。店舗数が増えても、店面積が減れば「集客力」は確実に落ちる。商店街の入込客、各店の入店者数、売上(これは簡単に教えてくれないのだろうが)などの数字と比較して、そこで初めて調査は意味をなしてくる。動向調査として、この3年間の数の推移があるだけではそれ以上のものではない。それもブームの始まる2000年以前の数字と比較しないと意味がなさないだろう。*2

日本橋がオタクの街となり始めたのは1994年頃か

 この報告はともあれ、大阪・日本橋が「家電の街」から「オタクの街」へと移行しつつあるのは衆目の一致するところ。
 そんな中、

株式会社エルエルパレスは、同人誌・同人ソフト等販売の「えるぱれショップ」(日本橋5丁目)を3月末で閉店することを発表した。なお、「えるぱれショップ」での店頭販売だけでなく、「L.L.Palace」の名称で展開する通販部門も4月には終了し、事実上この部門から撤退することになる模様。
えるぱれショップ、3月末で閉店

ということになったらしい。あっ、えるぱれが3月いっぱいで閉めるのか。これも、もう一つ、日本橋の黄昏を伝えるニュースなのかもしれない。
 今はあまり実感はないかもしれないが、80年代、そして90年代初めまでは梅田の方が「オタクの街」に相応しい雰囲気だった。大阪駅前第4ビルの南側にあった大阪東映会館のビルには「アニメショップ ベロ」があり、海洋堂のアンテナショップがあり、週末にもなるといかにもそれな感じの人たち(オタク第1世代・第2世代)がその界隈を回遊していた。梅田には他にもマンガ専門店やアニメグッズ店はあった。ただ、梅田の街はかなり広いのに店が分散していたのでさほど目立っていたわけではない。昔の新宿や渋谷も同じような感じだったが、まだ面的広がりには程遠かった。産業として成熟していなかったのだろう。
 ところが、90年代初めになると、オタク産業の店舗展開が加速していく。1991年にコミックマーケットが幕張から晴海に戻ったあたりから同人誌の店舗販売を積極的に行う店が増えてきたのだ。最初は既存書店が店の片隅でやっていたり、あるいは例の海賊版が山ほど積まれたりしていたが、1993年ころからは専門店も現れ、それらを駆逐していく。ワンダーフェスティバルの主催者がゼネプロから海洋堂に変わった1992年頃からガレージキットなどのグッズを扱う店もちょこちょこ出てきた。
 そんな中、関西で初(?)の同人誌専門店となる「えるえるパレス」(えるぱれショップ)が日本橋駅界隈のビルにテナントとして入ったのは1993年12月のことである。
 私は当時から現在まで同人誌専門店で一度たりとも同人誌を購入したことがない。なのになんで、オープン時期を覚えているのかというと、この月、コミケあわせで作った同人誌を某印刷所に入稿した際、ちょうど同店のチラシが刷り上がったところを目撃したのだ。新宿とかにそうした店はあるけど、大阪では初めてだね。こんな店が流行るのかな。いやいや......と印刷所のおやじさんと話した記憶がある。年末のコミケカタログにはこの店の広告が出ていた。
 ただ、日本橋という立地は目利きがいいなとも感じた。オタクな人たちは家電量販店(=パソコン・LD・ビデオetc)と親和性があるし、ここにはアニメLDなんかを定価の1.5割、2割引きで売ってくれる店がいくつもあった。鉄道マニアだと、割引率の高いジョーシン鉄道模型店も重宝した。週末にもなると、ある程度、僕たちと同じ人種が歩いているのを見かける。その片隅でオタク専門店か…… 回遊している客がやってきそう。
 正月明け、知人とこの店に行くと、棚に置かれた同人誌はあまり多くなかった。やっぱダメか......と思っていたら、半年後、1年後、本の数も客数も増えていった。いつしかフロアーを拡張していた。僕は祭りの場であるコミケ以外で同人誌を買う気は起こらなかったが、実際、この手の需要もあったのだろう。1994年には、大阪南部のマンガオタクに絶大な支持を集めていた「わんだーらんど」が南海なんば駅にほど近いところに難波店を開店している。ここはいついってもオタクたちでごった返していた。

2000年頃からオタク系店舗が集中し始めた日本橋秋葉原との差異

 いつしか日本橋に同種の店が進出し始めた。地下鉄堺筋線日本橋駅で降りて、隣の恵美須町駅まで日本橋商店街をぶらぶらする……というのが関西のオタクたちの週末の過ごし方になった。ジョーシンソフマップ、そしてオタク専門店がその対象だった。90年代後半になって、いわゆるエロゲーを購入できる街として、秋葉原と同じような店舗展開を見せるようになり、さらにオタクたちから注目されるようになる。
 ただ、そうした回遊ルートも90年代段階では確固たる流れがあったわけではない。たとえば、まんだらけは1996年に大阪初進出をしているが、店ができたのは梅田の阪急東通商店街だった。同社の戦略もあったのだろうが、なんで日本橋じゃないの(いろいろ集まっていて行くのに便利なのに)……と知人と話した記憶もある。オタク産業なら日本橋……という流れがまだ確立していなかった時代である。
 その後、2001年を境に街の雰囲気は変わっていく。
 カギとなるのはヨドバシカメラが2001年に梅田へ進出したとこと。それによって日本橋を回遊する買物客がめっきり減少した。いや、それよりもヤマダ電機などが郊外へ家電量販店を展開したことの方が影響が大きかったのかもしれない。90年代後半には日本橋に行かなくても安く家電を買うことができるようになった。旗艦店である大型量販店が急速に衰えたことで、来店客は減少し、回遊ルートが小さくなった。
 そして、2000年に「とらのあな」が大阪なんば店を設立した頃から雰囲気が変わった。わんだーらんどソフマップ・ワルツ堂があった日本橋北部地域に店をぶつけてきたのである。2002年には、まんだらけも「なんば店」をオープン。アニメイトゲーマーズメロンブックスなどの進出も相次ぐ。90年代後半には恵美須町駅界隈と日本橋北部地域とにオタク店舗は二分されていたが、この後、日本橋北部地域だけが栄えるようになる。いつしか「オタロード」と呼ばれるようになった。
 一方、以前から大阪・日本橋でオタク相手の商売をやってきた店舗の衰退が進む。ワルツ堂は2002年に倒産して撤退。ホビー商品や映像商品に強かったニノミヤは2005年1月に経営破綻。日本橋オタク産業を支えるライバルだったジョーシンも店舗の閉鎖を進めていく。エロゲーブームが終わったからか、ソフマップの店もかなり減った。わんだーらんどなど大阪系の店舗も往時の賑わいを失った。部品屋や小店舗が入っていた雑居ビルのテナントの空きが目立つようになった。
 モザイクなし、違法そのものの海賊版裏ビデオを扱う店が急激に増えたのもこの時期だ。一時期、この手の店が異常繁殖していたが、それも今年1月・2月の摘発でほとんど消えていった。そもそもそうした系統の店が乱立していたということ事態、日本橋という街の衰退を示していたのだろう。
 この間、日本橋はオタクの街として再生されたなんて言説が喧伝されるようになった。確かに同人誌やレア系マンガ、グッズ、ガレキや食玩を扱っている店は増えたが、店舗の集積、注目度も東京には劣る。東京の場合、オタク系店舗が秋葉原に集中したことで一つの文化を構築していったが、大阪の場合、日本橋にその手の店が集まっても、関西の独自性を発揮することはなかった。メイド喫茶食玩専門店、おでん缶なんかも秋葉原でブームになったのをコピーしたに過ぎない。量販店が撤退した跡地にマンションを……というのもそのまんまだ。

アキハバラ系産業の「大阪支店」と化した大阪・日本橋

 かつて、80年代から90年代半ばまで、関西のオタク文化はそれなりにオリジナル性を保ち続けた。ガレージキットを巡る海洋堂とゼネラルプロダクツ(ガイナックス)との争いは今ではオタク草創期における伝説になっている。東映動画のアニメショップ・ベロやアニメイト(旧コアデ企画)なども東京とはまた別の道を切り開いた。わんだーらんどのマンガ専門店としての独自性は全国的にも広く知られていた。ジョーシンやニノミヤによるホビー商品の大規模店化は幅広い関心を呼んだ。そうした店たちが、関西のオタク文化を形成してくれたという実感はある。エロゲーが質量共に拡充された90年代後半、Leafなど関西系のメーカーがそれなりの存在感を発揮できたのはその最後の遺産とも言える。
 そんな関西独特の匂いも、オタク店舗の日本橋集中が顕著となった2001年以降、見事に消え去ってしまった。むしろ1箇所に集積することで、オリジナル性は失われていったのかもしれない。
 その理由は、関西ローカルの店舗が、関東を中心に全国展開している店舗より、仕入れと情報発信の面で劣っていたからだろう。他地域に進出する資力と余裕にも欠けた。ステレオタイプな"アンチ中央"というスタンスも維持できなくなった。客も秋葉原で買えるものを大阪で買いたいだけ。いつしか大阪・日本橋は、アキハバラ系産業の「大阪支店」と化してしまったのだ。
 だからこそ、先の調査での「日本橋の持つ潜在的魅力」という言葉に違和感を覚えたのだ。えるえるパレスの閉店はその象徴とも言える。上新電機へ行くと、「東証大証一部上場! ジョーシンだけが唯一関西資本の家電」という放送がエンドレスで流れているが、それを聞くたび、なんだかわびしさを感じる。消費者にとって、関西資本であるかどうかというのは、商品を購入する選択肢としてはどうでもいいことである。知人なんかと、「わんだーらんどだけが唯一関西資本のオタク店」、「買って残そう。関西系マンガ専門店」とかなんとか言って、マンガを買うときは同店で買うようにしているが、もうあまり意味をなしていない行動である。
 かくいう私も、DVDやマンガの購入は郊外店あるいはネットで済ますことが多くなった。定価から2割引してくれるAmazonかヤマダ電器で十分。すでに内容や制作者をある程度把握しているなら、わざわざ交通費を払って専門店まで遠征する必要はない。他人の不幸は蜜の味: Amazonユーザの都道府県別分布を見ていると、決して地方都市だけでなく大都市でも、いや大都市こそAmazonの利用が多いことも分かる。
 もちろん未知の物件との出会いを求めて日本橋へ行くこともあるのはあるが、以前ほどではない。ネットで情報を得られ、レアなアイテムすら手に入れることができるようになった現在、もうアンテナショップとしてオタク系の店が果たす役割は終わったのかもしれない。
 いやあ、それでも、オタク系店がある程度集積しているだけ、まだ恵まれているのかもしれない。かつて名古屋に住んでいたとき、東海地区最大の電気店街であると聞いた大須商店街に行くことが多かった。秋葉原日本橋に次ぐ日本で3番目の大きさを誇るという話だったが、店の数、レパートリーともに、かなり見劣りした。だから、欲しいものが中途半端に何もない。人口200万人の都市にも思えない、慎ましやかな規模だった。旅行の時に現地のオタク店舗を見るのが好きで札幌や福岡、広島など全国各地の地方都市、そしてバンコクワルシャワなど世界各地の店を訪ねたが(タイ・バンコクのメイド喫茶akibaに行ってきました。 - とれいん工房の汽車旅12ヵ月)、複数の店舗が一地域に集積しているところはなかなか存在しない。そんな地方都市より、日本橋はずーっとマシなのだろう。高望みしても仕方がない。
 結局、オタク文化オタク産業も、ジャンルの細分化と分散化が進む一方で、その地理的分布と店舗展開、発信源は東京・秋葉原への一極集中が進んでいるというわけだ。地理的な制約を受けないネットの動きも、明らかに東京や秋葉原での動きと密接に関連しあっている。それはそういうものなんでしょう。となると、「秋葉原---郊外店・ネット」という両極での動きの中で、大阪・日本橋という街の方向性がさらに見えにくくなってしまう。だからこそ、アキハバラ系産業の「大阪支店」という形でしか生き残れなくなった……というのが今日のまとめ。ともあれ、関西のオタクの一人として、また別の視点から日本橋という街を語りたいという欲求はあるのだけど、それはまた別の話。<関連記事>繁華街とピンク街 - とれいん工房の汽車旅12ヵ月

*1:p5の本文に「2001年11月には12店舗」とあるが、分布図には19店存在する。その他にも店舗数と分布図の数字があわないところは何カ所かある

*2:あまりオタク産業に詳しくなさそうな記述もある。報告書の割には、やたらと文章が踊っているのもどうなんだろう。調査業務などの経験に乏しいグループなのか