水間鉄道の社長となった関西佳子氏が羨ましい。
貝塚駅から水間寺まで、大阪府貝塚市内の5.5キロメートルを走る水間鉄道。今年5月に社長に就任した関西佳子氏(45)は日本民営鉄道協会加盟社で唯一の女性社長だ。
<こだわり人>ローカル線再生、知恵次々――水間鉄道社長・関西佳子さん日経ネット関西版2008/08/20
「水間鉄道にPiTaPa導入 - 一本足の蛸」を通して知りました。
いろいろ興味深いところは多いんだけど、とりあえず社長が「関西佳子」氏というのが凄いや。「東京太郎」とか「日本花子」とか、定期券やパスポート、免許証の記入例として出てきそうな名前ですよね。「関西」という苗字は初めて見た。
「全国の苗字(名字)10万種掲載」というサイトで検索してみると、「関西」さんは80世帯あるそうで、読みは「セキニシ」および「カンサイ」と2通りあるらしい*1。この人は、どっちの読みなんだろう。
でも、まったく畑違いの仕事をしていたのに鉄道会社の社長さんになれるのか......いいなあ。これって、日本全国100万人の鉄道マニアの夢の仕事ですよ。
まあ、みんなそれぞれ、Nゲージのレイアウトを作ったり、あちこちで写真を撮ったり、保存鉄道に参画したり、自分のやり方で代償行為をしているわけだけど、本当にやりたいのはホンモノの鉄道を運営することだもんなあ。水間鉄道ぐらいのサイズだと、大きくもなく、理想的な会社ですよ。小学校の卒業文集で「国鉄総裁か京阪電気鉄道の社長になりたい」と書いたのは24年前。まあ、あれからいろいろ現実の時を経て、ただのマニアのまま今に至る訳なんですが、まあそれはそれ。
うどん屋より鉄道会社が下位に位置づけられているというのに...
この間の水間鉄道の経緯は上記の記事にあるとおり、バブル期の不動産投資が重荷となって経営不振に陥り、
- 2005年4月 水間鉄道が会社更生法を申請
- 2005年7月 うどん屋チェーンのグルメ杵屋が再建支援
- 2005年9月 関西美津治氏が社長に就任
- 2006年4月 グルメ杵屋の100%子会社化
- 2006年6月 会社更生法手続き終了
- 2008年5月 関西佳子氏が社長に就任
という経緯を辿ったわけだ。
記事を見ていると、関西佳子氏が社長となったのは「鉄道会社OBの父・関西美津治氏が社長に就任したのがきっかけ」とか。関西美津治氏は、「水間鉄道株式会社の更生手続きに関する支援企業決定についてのお知らせ」によると、元・南海電気鉄道株式会社理事だった方なんですね。
グルメ杵屋の2006年度上半期中間報告書の「営業の概況」を見ると、
- うどん部門
- そば部門
- 洋食部門
- 和食部門
- ベンチャー部門
- 外食給食事業
- 不動産賃貸事業
とあって、最後の8番目に「運輸事業」として水間鉄道が慎ましやかに紹介されている。
これを見たとき、「おいおい、鉄道って、そんなに扱いが低いのかよ...」と鉄道マニアとして軽い屈辱感を抱いたりしたのだけど、売上高構成比で見ると、運輸事業ってわずか1.2%。まあ、この扱いも仕方ない。不動産業のオマケ的存在である紀州鉄道とあまり変わらないということか。
でも、このグルメ杵屋。バブル期に私学の中堅校である初芝高等学校に経営参画し、教師を自社のうどん屋に派遣して研修を積ませるなど、いろいろと話題を振りまいてくれました。そもそも教員の相当数は「グルメ杵屋」の社員であり、そこから教員として学校側に出向しているのだとか。読売新聞の記事によると、「07年度現在、出向教員は96人おり、全教員の4分の1を占める」というから、まあ、教育関係者からすると無茶なことをやっているんです。
水間鉄道に資本参加すると聞いたとき、水鉄の社員さんたちも、うどん屋に行かされるのかな...とかネタにしていたんですが、そこら辺はどんなんだろう。
とりあえず、45歳で鉄道会社の社長に就いた関西さん。
いいなあ。いろいろ考えられて。羨ましい。心底、羨ましい。
オレ、その年になるまであと9年だよ。そのときには水間鉄道に招いてくれないかな。夢が実現した暁には、大井川鉄道から南海ズームカーを引き戻して水鉄線で動態保存をしたい。南海本線から2連の直通列車を走らせたい。とかなんとか、夢は膨らむ。でも、それって趣味の世界にしか過ぎず、経営面ではプラスには繋がりそうもない。う〜ん、そんなことしか思いつかないのがマニアの限界かなあとか思ったりもするのだけど、それはまた別の話。
*1:ちなみに「関東」(カントウ、セキトウ)さんは264世帯とのこと