京都大学が運営する芦生森林鉄道を訪ねてみた(前編)
先日、ドライブがてら、というか別な目的があって、京都の最深部にある美山町......今は南丹市を訪れました。
美山というのは茅葺き屋根のたくさん密集している地域として観光バスも多数訪れるエリアです。その一部は重要伝統的建造物群保存地区に指定され、京阪神からの日帰りツアー、ドライブやツーリングなども頻繁に行われています。外国人旅行者御用達の「Lonely Planet Japan (Country Guide)」なんかにも載っているので白人さんなんかも見ることがあります。
だが、そのさらに奥にある芦生(あしゅう)という集落は知る人ぞ知る存在なんだと思います。
ここには、京都大学フィールド科学教育研究センターの森林ステーション芦生研究林というのがあります。
- 京都大学フィールド科学教育研究センター森林ステーション芦生研究林http://fserc.kyoto-u.ac.jp/asiu/index.html
京都大学の芦生演習林
南丹市というのは自治体区分だと京都市右京区に隣接しているのですが、鴨川あたりの景色とはぜんぜん別物の山奥に位置します。
出町柳にある京都大学から60km。クルマで2時間くらい。公共交通機関だと、JR京都駅からJRバス高雄経由で周山に行き、そこから南丹市営バスを3本以上乗り継ぐ形になる。所用4時間〜6時間。美山の中心集落から少し行けば福井県若狭なんだし、まあ大変遠い所なんです。
演習林は大正時代から整備されてきた由緒ある学習施設で、芦生演習林として農学部系学生や研究者たちが様々な実験や研究をこの森の中で行ってきた。カモシカやニホンザル、イノシシなどが住む林の広さはなんと4,179.7ha。
ハイキング客や登山客の間ではそれなりに知られている芦生の演習林に僕が入る理由.....それは決まっていますよ。そこに鉄道があるから。
森の中に鉄道を敷くというのは、営業用の森林を抱えている事業主にとっては木材の運搬のために必須だった時代がある。国内各地に森林鉄道が整備されたのは大正から昭和初期にかけて。鉄道敷がそのまま林道となり、人々の通行路、生活ルートともなった。それがモータリゼーションでトラック輸送へと切り替えられるのは60年代に入ってから。国内有数の規模を誇った木曽森林鉄道が1977年に事実上運行を取りやめたことで、日本の森林鉄道における定期的な輸送はほぼ終了している。
でも、その後も運材用のトロッコを臨時で走らせるケースは少なくなかった。屋久島の安房森林鉄道もその1つ。木材の積み卸し用としての使命は終わってしまったようだが、まだ稼働はしているらしい。
農業系の大学に関しても、自らの演習林にトロッコ軌道を敷いているケースとしては東京大学が秩父の演習林に持っていた入川森林軌道というのがある。
京都大学だと芦生の演習林。整備は大正時代から始まり、762mmのレールが1934年に事務所と赤崎地区(後述)の間に敷設されている。
大学としても商売目的で林を持っているわけではないにしても、伐採したり倒木した丸太を輸送する手段はなんらしか必要だ。不定期な形であるがトロッコの運転は続けられた。ただ、たびかさなる災害で路線が寸断され、さらに集落のあった灰野地区が廃村となり伐採量が減ると必要性も薄れていく。80年代以降は、事務所と2km離れた灰野地区との間をごくたまに不定期(しかも年に数回)で運行するだけの存在となっている。
マニアの間ではここのトロッコは知られていて、僕は由良川の橋梁が改築される前だから1992年頃。トロッコの機関車がぐるぐるとエンジンをかけていて、事務所前のレールを行き来していたのを目撃した。ちょうどハイキング好きのコアな連中がここに注目し始めた頃だ。その後も2回ほど訪れたことがあるが、今ではツアー形式で入山する人もかなり増えている。
今日もトロッコ列車ご一同様は健在です
さて、久しぶりの芦生。
事務所前に立てられている表札みたいな木箱に入林申請書がある。「警 告 一人での入林禁止!」と赤書きされている看板を見ると、ここでは毎年死亡事故を含む遭難が発生しているんだとか。2005年には4人も亡くなっているし、あまり相次ぐと大学当局としても入山禁止とかの処置をとらないといけなくなる。これは困った話だなあ、と、とにかく僕とツレの名前を書き込む。
側にある案内図をぱちり。
灰野・小ヨモギ作業所・カヅラ作業所にトロッコの交換設備があったと記憶している。ただ、小ヨモギ作業所の先は行けなかったんだっけ.....とかいう経験もある。まあやたらと暑い夏の日、あまり無茶はする気はない。
さっそく事務所の先へ行くと、トロッコ用の真新しい機関庫からレールが続いているじゃないですか。
ここらは90年代初頭に整備されたところで、それ以前はもっとボロかったと記憶しています。なんで新しくするんだろう……と、京大のツレと一緒に不思議がったものです。実際、トロッコってその後もマトモに起動していないからねえ。
その隅に置いていた台車をぱちり。
これは運材用の貨車なんでしょうね。これ2つで1つの組となり、台車の上に丸太を置く形になる。2年前にルーマニアの山奥で現役の森林鉄道を見たときの想い出がいろいろと蘇ってきます。
ルーマニアの辺境を走るモカニツァ森林鉄道へ行ってみた(その2) - とれいん工房の汽車旅12ヵ月
真新しい線路は続きます。ついつい嬉しくて早足になってしまう。
その先に鎮座しているが、トロッコ列車ご一同様。
3両編成で真ん中の1両が稼働する機関車。
このシンプルな作りを刮目して見よ!
プラスチック屋根に、柱は幅10cmに満たない細い木材。木はもちろん輸入材ではなく、メイドイン芦生なのかなあ。
いまどき工事現場でも見ないような安普請です。ここまで安さを追求した乗り物いうのも珍しい。小学生の夏休みの工作ですらもう少し見栄えをよくするよ。
エンジンも.......まあ、みなまで言うまい。
ちゃちいんだけど、これでレールの上を行き来するんだから凄いものだ。こういうのって、昔、カンボジアのスラムをぬける鉄道線で見たことがあります。地元の人たちが、この最低限の機能を持つ機関車を使って有償で(もちろん無断で)住民を輸送していたんですよ……。僕もカネを払って乗せてもらいましたが、なかなか快適で気持ちいいものでしたよ。
あとは、稼働しているのを見たいけど、今日は、無理かなあ。いやあ、本音は乗りたいんですよね。大学院生時代、なぜか偶然イタイイタイ病の研究グループに紛れ込んでしまい、東京大学のカミオカンデの先の部外者が立ち入ることはできない最深部までトロッコで入ったことがあります。あれは至福の体験でした。
神岡鉱山茂住坑と神岡鉱山鉄道 とれいん工房の鉄道省私文書舘
てことは、京都大学農学部に入れてもらって森林方面の研究をすればなんとかなるんだよね。今から2年がかりで勉強し直してでも理科系の教科なんて当時から苦手だったしそれに......とか思いつつ、その道のりの果てしなく遠いことに気付いてしまった。
妄想はそこておしまい。とにかく、鉄道の原始的な姿を伝える車両を見れて嬉しいです。
ちなみに横に立てられた碑はこんな感じ。
ここも近代化産業遺産に登録されたのか。芦生森林鉄道みたいな超地味な乗り物が対象となったのは嬉しいね(最近、この遺産ってインフレ的に急増しているから有り難みが薄れているのもまた事実だけど)。
さて、列車が置いてある先にもレールは続きます。
この上で歩みを進めると、レールは右に急カーブ。
由良川を跨ぐ橋梁です。
20年前に架けられた真新しい鉄橋です。
という物騒な看板はあるけど、まあ足下はしっかりしています。
7年前に来たときはこの先で早くも通行止めになっていたんですが、今日はなんとか歩けそう。
暑いけど、水は多めに持ってきているし、なんとか行けるところまで歩いてみたいです。
さて、この先もまだまだトロッコ線は続いているのだけど、わずか4キロのトロッコにしては道のりは長いんで、それはまた別の話。<続きは>
京都大学が運営する芦生森林鉄道を訪ねてみた(後編) - とれいん工房の汽車旅12ヵ月