あれから6年。銚子電気鉄道の自主再建断念と不正経理問題と銚子市長選

katamachi2013-02-02

 昨日、銚子電気鉄道について新たな情報が飛び込んできた。

 銚子電気鉄道(千葉県銚子市)は1日、東日本大震災以降の経営難から、自主再建を断念、地元の銚子市や県などに支援を要請していると発表した。
銚子電鉄:自主再建を断念、市などに支援要請 震災打撃毎日新聞 2013年02月02日

 朝日新聞だと「銚子電鉄、自主再建を断念 副業「ぬれ煎餅」健闘及ばず」というタイトルになっている。「副業のヒット商品「ぬれ煎餅(せんべい)」の売り上げも、本業の利用客減少をカバーできなかった」と解説している。現社長は「東日本大震災で観光客が減少、本業の売り上げは大きく落ち込んだ」ともある。
 そういった側面は確かにある。

との緊急アピールが銚子電気鉄道のホームページに記載されたのは2006年11月のことだ。
 わずか10日ほどで1万件ほどの通販申し込みがあり、検査期限が間際となって休車の危機にあったデハ1001の検査費用1000万円を工面することができた。

  • 会社をなんとかしたいという社員さんたちの熱意 
  • ぬれ煎餅のネット注文が殺到して品薄状態が続くことへの飢餓感 

など様々な要因によって「ぬれ煎餅」→「鉄道会社の救済」という美談が語られてきた。
 それから6年。ブームが一巡し、かつ観光客が震災以降に減った後、自主再建を断念し、自治体に支援を求めることになった。
 過去に何度かこのブログでも取り上げた銚子電気鉄道再建問題とその周辺の話題、ここでもう一度、整理してみよう。

銚子電気鉄道への補助金削減と不正借入問題とぬれ煎餅

 まず、銚子市銚子電気鉄道を巡る議論を確認してみたい。
 その存廃問題がクローズアップされたのは、2003年のことだ。

  • 1990年 銚子とは無縁の不動産屋、内野屋工務店銚子電鉄を買収→大規模開発に対する一抹の不安 
  • 1995年 ぬれ煎餅の販売を開始 
  • 1997年 同年度で国の欠損補助が打ち切り
  • 1998年 内野屋工務店の破産→資金借入に難渋し始める
  • 2002年4月 同年度で県の欠損補助が打ち切り。銚子市単独に。同年度の銚子電鉄の欠損損失額は1,600万円。  
  • 2003年12月 野平市長(当時)が、「本来の目的である公共交通機関としての寄与度は、実は非常に低いというふうに思っております。つまり銚子市民は、ほとんど乗らないと」と発言。欠損補助金に対しては銚子市としては今後出さない、と答弁する。

 このあたりから雲行きが怪しくなる。野平は現在の銚子市長でもあるのだが「銚子市民は、ほとんど乗らない」という言及は大きい。
 その翌月、衝撃が走る。

  • 2004年1月 内山健治郎銚子電鉄社長(当時)が銚子電鉄名義の借入金を借金返済に回していたことが発覚し、銚子電鉄取締役会で社長解任と報道。 
  • 2004年3月 銚子電鉄運行対策協議会が「銚子電鉄の今後のあり方について」と答申を発表。銚子市は、貸し付けを含め応分の支援をすべきとしたが反応なし
  • 2004年4月 市などの補助金を中止(近代化設備整備費補助。前年度は1112万円)。1969年度からの35年間で欠損補助と近代化補助は国・県・市あわせて16億円(2004年度でも単年度黒字)
  • 2005年1月 国土交通省幹部が銚子市役所に来訪。街金業者がぬれ煎餅の代金を差し押さえにきたことを指摘し、「銚子市が何らかの判断を示すべきではないか」と言及
  • 2005年9月 市産業部長が、銚子電鉄の安全運行維持のための費用として、車両更新費1.6億円(3年以内)+軌道道床硬質構造化工事で”総額約4億円”と回答 
  • 2006年3月定例会 野平市長「19年度の補助金も無理だということになりますと、その間にどういう事態が発生して運行がどうなっちゃうのかという非常に危険な事態も発生されます」
  • 2006年5月 銚子電鉄側が、銚子市へ鉄道の存続のための支援を要請する文書を提出し、それ以降、銚子電鉄再生問題協議会が中止
  • 2006年8月 内山前社長が業務上横領の罪で逮捕→借金は1億円以上で、一部はヤミ金から借りていると
  • 2006年9月 銚子市銚子電鉄対策プロジェクト会議を発足 
  • 2006年10月 国土交通省が保安検査。かなり厳しい意見をそこで言及 
  • 2006年11月 「電車修理代を稼がなくちゃ、いけないんです。」の一言がホームページ掲載。国交省より改善命令 
  • 2006年12月 ぬれ煎餅で1000万円の”臨時収入”→車両の点検費用
  • 2006年12月 銚子市役所が市長名で出した「銚子電鉄問題への市の対応について」という文書
  • 2007年1月 銚子電鉄が改善報告書提出
  • 2007年7月 前社長の不正借入問題で千葉地裁が執行猶予付きの判決

 2003年からの4年間

という状況があり、それが、2006年末からしばらく続いた、ぬれ煎餅ムーブメントで事態は好転する。外部からすると、あらゆる問題が解決したように、見えていた。

銚子電気鉄道再建問題への関心の薄い銚子市役所と市長

 ただ、この間、銚子市政ではあまり銚子電気鉄道の存続廃止問題は話題となっていない。
 市の財政難から市立高校の統合問題が焦点となり、さらに銚子市立総合病院の診療休止問題が焦点となり、市政は二分していた。この頃の銚子市政を振り返ると、

  • 2002年8月 銚子市長選。現職市長を破って野平匡邦(旧自治官僚)が初当選
  • 2006年7月 銚子市長選に有力3者が立候補。接戦の末、現職の野平市長が落選し、銚子電鉄存続に理解を示していた岡野俊昭(元中学校長)が市長に就任
  • 2007年 岡野市長は銚子電鉄についてあまり言及しなくなる。市財政再建と市立病院を巡る議論が焦点に
  • 2008年秋  医師不足や財政難を理由に銚子市立総合病院の診療の多くを休止。市長リコール(解職請求)運動が起きる
  • 2009年3月 住民投票で岡野市長のリコール成立
  • 2009年5月 出直し銚子市長選。野平が市長に返り咲く。

ということになる。ここらの3回の市長選挙、地元では相当ややこしいことになっているようだ。市民が二分、三分され、地元の人たちらしい感じのブログなどでそれぞれの陣営が相当辛辣な書かれ方をしていた。その市政の混乱と銚子電鉄問題も無縁ではない。
 現在の銚子市長である野平は10年前に「銚子市民は、ほとんど乗らない」と発言している。銚子電鉄存続にあまり積極的ではない。
 また、銚子市役所は、ぬれ煎餅が話題となった直後の2006年12月(岡野市長時代)に「近代化補助を行うための条件」を出している。そこで指摘したのが、

  • 1.事業計画の提出→実現性のある事業計画が未提出
  • 2.前社長不正借入問題の解決→債権者及び債権額が未確定 
  • 3.経営状況等の公表→経理状況等を市民に公表
  • 4.自己負担分の確保→近代化補助に係る自己負担分を現段階で確保できていない

の4点だ。

  • 『財政的支援』については、『近代化補助を行うための条件』が満たされた段階で国、県と相談しながら早急に検討します。

との予防線を張っている。この条件をクリアーしないと補助金は出さない、ということだ。
 公金を支出するなら鉄道側の経理の透明性を高めるのは当たり前のことだ。別な観点からすると補助を出すハードルを上げて、判断先送りしたという言い方もできる。財政難で苦しんでいる中、バス事業にも補助を出しているし、そこでさらに鉄道にも……というのは市民に説明しづらい。
 現在の野平市長もその路線を踏襲している。市議会の議事録を検索すると、

  • 平成21年9月定例会  

国の公的なお金が入るということには全然なっていないと。それにはそれ相応の条件があって、それをクリアできていないから、公金投入できる会社ではないという大変残念な状況

  • 平成22年(2010)9月定例会

平成18年12月にこの近代化設備整備費補助について銚子市が電鉄に対して市の対応というのをぶつけました、文書で。次の4つの条件を満たさない限り補助金などは投入できない。(中略) まだ銚子市いただいておりませんので、前に進んでいくという段階に入っていないと。そういう意味では、まずは会社自身として、今後銚子電鉄はどういうふうに生き延びようとしているのかという情報発信というんでしょうかね、そういう決意を広く発信されることが次の前進のきっかけになるんじゃないかな

  • 平成24年(2012)3月 定例会

域内に観光の目玉商品として残ってもいる銚子電鉄の位置づけ、これをお客様、観光のお客様だけで支え切れるかどうかは私は非常に悲観的ですので、銚子市内のいろんなインフラ、公共施設の整備を関連づけながら選択をしていくということまで入っていかないと、銚子市に残された観光の本当にすばらしい宝と言われる銚子電鉄を失ってしまうおそれもあるのではないかなというふうに心配を実はしております。企業のいろんな意味での過去のスキャンダル、トラブルもありまして、なかなか銚子市が正面からおつき合いできるような状況がないということで、国のほうでは銚子市の財政負担関与なしでささやかな補助制度を進めてきておりますけれども、国交省のかなり上のほうの方からそういう問題についても意見交換をしたいというふうな申し入れがあります。それから、経営が相当苦心惨たんしているという情報もあります。正確に具体的な情報としては入ってきませんけれども

  • 平成24年(2012)6月 定例会

(銚子電鉄)その情報がさっぱり開示されない、銚子市に対して。今どうなっていて、今後どうなりそうなのか。本来国側の指摘に対して、どういう手順で、何ができないのかと。とりあえず、とりあえず先送りだけを繰り返しておられるというふうに国交省は述べておりました(中略)車両をどうするのか、変電所をどうするのかというふうな、資金繰りをどうするのかということをですね、言っていただかないと、銚子市側もこの銚子電鉄をお客様でサポートする計画を立てていいものやら悪いものやらわかりません。

との発言もある。 
 そして、これに銚子電気鉄道が明確な回答を出さないまま6年が過ぎ去り、今回の自主再建断念に繋がったともいえる。

そもそも銚子市民はどれぐらい銚子電気鉄道に関心を持っているのだろうか

 実際、本当に鉄道として必要なのか。数字を確認してみよう。
 銚子市議会の議事録の報告(平成21年9月定例会)によると、

  • 2004年度65万人
  • 2005年度65万人
  • 2006年度71万人
  • 2007年度83万人
  • 2008年度78万人

とある。で、冒頭の毎日新聞の記事だと、

  • 2010年度約62万人(2011年度が前年比23%減という情報から逆算)
  • 2011年度約48万人

とある。市議会の記事と毎日の記事。この両者の数字を単純比較できるかどうかは別だが、嶋田淑之の「リーダーは眠らない」:「電車修理代を稼がなくちゃ、いけないんです」の銚子電鉄は今どうなっているのか? (1/6) - ITmedia ビジネスオンライン銚子電気鉄道の「運送人員(単位:人)と運賃収入(単位:円)の推移」の運送人員数と符合する。「千葉統計年鑑」で示された銚子電鉄の年間乗車人員数ともほぼ同じくらいだ。
 「千葉統計年鑑」の数字を見ると、

  • 銚子駅(1日平均運輸状況=乗車数)
    • 2004年度 650人 うち普通客 451人 うち定期客 199人
    • 2006年度 674人 うち普通客 493人 うち定期客 181人
    • 2007年度 935人 うち普通客 762人 うち定期客 173人
    • 2008年度 889人 うち普通客 719人 うち定期客 170人
    • 2010年度 673人 うち普通客 511人 うち定期客 163人
  • 外川駅
    • 2004年度 192人 うち普通客 133人 うち定期客 59人
    • 2006年度 235人 うち普通客 186人 うち定期客 49人
    • 2007年度 150人 うち普通客 75人 うち定期客 75人
    • 2008年度 242人 うち普通客 190人 うち定期客 52人
    • 2010年度 209人 うち普通客 159人 うち定期客 50人

と、すでに2010年度*1の段階で、ぬれ煎餅騒動以前の数字に戻りつつあったことが分かる。あのブームが一巡した後、震災で追い打ちをかけられた。
 銚子電気鉄道そのものはどうか。ぬれ煎餅騒ぎから2年ほど経った2008年頃から動きは低調となっていた。地元での議論が空転していたのも銚子電気鉄道銚子市役所の不協和音があったのも前述の通り。
 せんべいの増産と販路の拡大には成功したようだ。路盤の修繕や車両の投入(中古ですが)が行われたのもご存じだろう。

  • 2009年11月 銚子電鉄2000型運び込まれる(京王→伊予鉄)
  • 2010年7月 運用開始

 ただ、その後、肝心の鉄道をどうやって存続していくのか。そこらの動きがほとんど聞こえてこないのが気になっていた。
 濡れせんべいと銚子電鉄運動の中心となった向後功作鉄道部次長は2010年4月で銚子電鉄を退社している。彼になにがあったんだろう。沈黙の意味は気になる。
 話題を呼んだ「銚子電鉄サポーターズ」も2008年5月に活動を休止したままだ。「嶋田淑之の「リーダーは眠らない」:「電車修理代を稼がなくちゃ、いけないんです」の銚子電鉄は今どうなっているのか? (4/6) - ITmedia ビジネスオンライン」の小川文雄社長(当時)の発言によると、「銚子電鉄サポーターズという支援団体の設立・運営についても同様で、私は関与していません」「経営方針に異を唱えるある社員が、外部の知己を集めてサポーターズの中に紛れ込ませ、私を追い落とすクーデターを計画していたからです」とある。
 なんだろう、このきな臭さは。

がんばれ! 銚子電鉄

がんばれ! 銚子電鉄

 さて、今後、銚子電鉄は、どうなるんだろう。

  • 自主再建路線を進めてきた小川文雄氏(内野屋工務店出身)が社長を退任→竹本勝紀新社長(2012年末就任)が自主再建を断念と発表
  • 「同市出身の企業家らが設立した財団法人などから資金援助を得たり、運行と線路などの施設管理の主体を分ける「上下分離」を実施したりして」
  • 「市内の企業支援のため設立された財団法人に資金援助を求めるほか、市や県へも支援要請」

毎日新聞にはある。
 理想は地元の企業家たちが鉄道再建に手を挙げることだ。
 ただ、正直、これまでの銚子市との微妙な関係を考えると、市外の投資家なりなんなりに頼った方が良いような気もする。困ったときの両備グループ頼み、とか。
 もっとも、1990年に市外の内野屋工務店(1998年破産。小川前社長の出身母体)に買収されたあたりから話はおかしくなったんだし、そこらの判断と地元の反応は微妙だ。外部にはよく分からない経営状況が説明されない限りそれも難しいのだろう。
 かといって銚子市の財政状況から公的な運営主体を作ることはあまり期待できなさそう。
 そもそも銚子市民はどれぐらい銚子電気鉄道に関心を持っているのだろうか。
 銚子電鉄の存続を求める署名活動に12万人近い署名が集まったようだが、実際、存続のために市の予算を組むとなるとどれぐらいの同意を得られるのだろうか。
 ぬれ煎餅の販売増、あるいはどこかの"善意の第三者"の援助にすがって銚子電気鉄道再生の道筋を描ければ万々歳。
 でも、ヨソの資本や購買力に頼っている限り、地元には"マイレール"意識は芽生えにくい。
 ぬれ煎餅の成果や観光鉄道としての存続を主張すればするほど、市民の関心は薄れていく。多くの市民にとって不要不急の銚子電鉄への税金投入は様々な議論を呼んでしまう。ましてや政治グループがいくつにも分かれている中では、対立陣営のネガティブキャンペーンに使われかねない。市議会議事録を読む限り、ここ数年、銚子電気鉄道問題はあまり焦点となっていない。
 「電車修理代を稼がなくちゃ、いけないんです。」で話題を呼んでから6年。正念場を迎えることになりそうです。

 ちなみに、今回の話の背景として考えられるのは、この記事。

 任期満了に伴う銚子市長選(4月21日投開票)について、野平匡邦市長(65)は29日の定例記者会見で3期目を目指して立候補する意向を表明した
選挙:銚子市長選 野平市長が出馬を表明 /千葉毎日新聞 2013年01月30日

 今年の4月に銚子市長選挙か……また生臭そうな話になりそう。
 これと今回の話、当然、関係あるのでしょう。あえて議論としてもらうために自主再建断念を早めにアピールしたのか。あるいはなんらかの政治的思惑があるのか。よく分からないんです。2013年度予算に間に合わせるにはタイミングが遅かったような気もしますが、それはまた別の話。

追記

 僕自身、昨年(2012年)11月、銚子市内で仕事の会議があったついでに銚子電気鉄道に久しぶりに乗ってきました。
 旧京王の2000系にも乗車。車体の汚れ具合にびっくりしましたが、以前よりは確かによい感じになっていました。イオンのラッピング塗装は訪問直後に終了したみたいですが、これは残念。それなりの収入があったはずなのに……


 平日にもかかわらず、そこそこお客さんはいらっしゃったようです。夕方と朝に乗ったんで地元の方もそれなりに。ついつい観光鉄道としての側面ばかりクローズアップされるんですが、きちんと地元の足としても必要だということを愚直にアピールしないと存続話には繋がらないのかな。これから市長選に向けての地元の議論が意味あるものにして欲しいと思います。

*1:2010年度末には震災後の運休もあったことも勘案すべき